過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

いままさに、目の前にいて、苦しんでいる人に対しての説法というのは

「神社・寺カフェ」をきっかけに、お寺に通う人たちが増えてきている。「あの尼さん、近づきやすいから、こんど寄ってみよう」「あのお寺の庭がステキだから、こんどお訪ねしたい」「休日には、坐禅会に参加したい」▲先日、訪ねた正晨寺さんではNさんにお会いした。脳梗塞で倒れた奥さまの快癒を願って、毎日、お題目を唱えに、寺に通ってこられている▲暮らしのなかに、祈りの場があるというのは、すばらしい。寄り添ってくれる住職がいるのは、ありがたい。ひとりじゃ、つらいことって多いからね。そうした人たちに応えられてこそ、生きた寺といえる。

今朝は、ガン患者の方からのお電話。ガンにかかっている患者の集いがあって、そこでお坊さんにお話をしてもらいたい。お坊さんを紹介してほしい。謝礼は交通費くらいしかおだしできないんですけど、と相談を受けた▲まあ、なかなか難しい。お経がうまくても、法事の時の説法がうまくて、姿かたちがよくても、だめだ。いままさに、目の前にいて、苦しんでいる人に対しての説法というのは、ほんとにチカラがないとできない。しかも、無報酬だし▲これは、なかなか難しいかな。でも、そうしたことに対して、喜んでチカラになろうというお坊さんもおられる▲そしてまた、伝統ある仏教の教えと実践法には、悩み苦しみを乗り越えるチカラがあることも確かだと思う。