過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

禅宗のお坊さんたちの前で講演

禅宗のお坊さんたち50名余。その前で講演させていただくことになった。クラウンパレスというホテルの会場。高い壇上からの話で聴衆と距離があるので、ちとやりにくい。

話の素材は整理していたけど、主催者の一番えらい老師との打ち合わせが必要だ。老師からの依頼では、「いま寺院消滅という時代がきつつある。そのためには、社会に開かれた寺院にしていきたい。そして、ひとには供養の心というものがあり、それは失われていない。そこにどうこたえていくか。そのヒントをいただきたい」と。

ということで、それを軸に話をすすめる。まず、ぼくが主催してきた30の神社と寺が参加した「神社・寺カフェ」の説明。ひとつひとつの寺社の活動を映像で紹介し、お寺の活動も、ネットワークをつくって点から線にして企画していくと、やりやすいことを伝える。

ひとがお寺を訪ねて来るんだけど、寺ではなくてひとがたいせつ。お坊さんのおもてなし力が問われる。法話や説法もいいけど、いきなりの仏教体験(禅、念仏、お題目など)が一般の人には新鮮だ。概念や説明じゃなくて、体感でつたえていく仏教というところを提案した。

つぎに、ぼくの仏教を学ぶに至ったきっかけ、信仰の思い込みを体当たりで突破してきたこと。そして、母の死を看取り、みずからお経を読んでおくった体験を紹介した。

供養とは、お坊さんまかせではなくて、遺族が心を込めて行うことが大切。そのためには、お経もお坊さんも、かならずしも必要ないかもしれない。お墓もそうだ。こころから納得のいく〈看取り〉と〈おくり〉、それを探求していきたい。

いまの葬式のありようだけでは、お坊さんの役割はなくなりつつあるという過激な話になったけども。眠っている人はひとりもいなくて、みなさんちゃんと聴いてくださった。そのあとは、懇親会にも参加させてもらって、いろいろなお坊さんと交流できた。次の企画がたくさん浮かんできた。