過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

お坊さんで医者 そういうひとの取材に秋田へ

もともとお坊さんは、修行をする過程で、山野を跋渉し、薬草などに知識も詳しかった。加持祈祷も、病を癒すことに役に立ったと思う。

心の疲れ、ストレス、悩み苦しみが、病の原因のお大きな要素なわけだから、心を癒やすという大きなはたらきをもっていたと思う。お釈迦さまの別名を「医王」ともいうくらいだ。

お坊さんは、死んだひとの供養だけではなく、生きているひとの心の琴線に触れる存在であってほしい。お寺は、法事の場だけではなく、心の癒やしの場であってほしい。説法も説教もありがたいけど、なによりお寺が癒される空間であってほしい。お寺が、祈りの場であるといい。そうして、寄り添ってくれるお坊さんがいるといい。

死んだ後の葬儀と法事とお墓の維持がメインになってしまうよりも、死にゆく人を見守り、まさに死に旅立つ人を看とることもできたらすばらしい。

そんなひと、いるわけないだろう。とも思うけど、こんなお坊さんがいた。対本宗訓(つしもと・そうくん)という方だ。この方は、京大の哲学科をでて、禅僧として修行、臨済宗佛通寺派管長となる。それから、帝京大の医学部に入って医者となる。緩和ケアなど、スピリチュアルケアに根ざした医療をめざして、昨年、秋田の病院の院長となった。医療と宗教の架け橋になろうとしている。

いちどお話を聞きたいと思っていたところ、ありがたいことに、雑誌の取材の仕事が入った。今月、秋田まで出かけることになった。