過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

縁をいかすということは、まさに現場主義。いきなり本番だ。

縁に従って動く。それがひとつのぼくの行動原理。縁によって、起こしていく。起きていく。縁がなければ、起こらない▲仏教は「因果」の教えという捉え方がある。果実(果)を得るためには、種を蒔いて育てなければならない(因)。たしかにそのとおり。でも、種を蒔いたからといって、育つとは限らない。土も水も風も日の光も必要。こうしたいろいろな「縁」がなければ、果実とはならない▲「因」はたいせつだが、「縁」もたいせつ。仏教は「因果」というよりも「縁起」のおしえ、と。(ここ、批判されそうなので言っておくと、仏教を思想としてかたろうというのではなくて、自分の生き方としてかたろうという話なので……)

がんばって学ぶ。資格をとる。練習する。予行演習する。しっかりと考えをまとめる。でも、そういうことを積み重ねても、のぞむ結果が得られるとは限らない▲なにしろ、あらゆる条件が刻々と変化していくのだから。自分のなかの心の動きも刻々と変化する。人の心も変わる。ものごとは、世の中はどうなるのか、わからない▲ということで、あらゆるものがどうなるのか、わからない。だから、縁に従って動く。縁が尽きたら、離れればいい▲縁をいかすということは、まさに現場主義。いきなり本番だ。練習なし。現場で、本番で、集中力と智慧をフルにつかっていく。いまここに生きる、という道だと思っている。