過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

瞬間瞬間、完了している

人生とは、創造の連続なんだと思う。瞬間瞬間の現実を創造している。

創造する主体は、自分自身。自分が道を選んでいる。この現実は、自分が選びとってきたそのものとして、ある。

いまの状態、この現実、この世界は、自分の選択の結果。自分が選んできた道のありよう。言い方を変えれば、「カルマの法則」「原因と結果の法則」ともいえる。

人生を、日常を、過去につくった原因の結果を受けている、とも言える。いわば、因果応報。過去の行いの報いとして生きている。まあ、そう考えると、これはなかかな惨めなこととなる。耐えるしかないような生き方となる。鎖に縛られ、轍(わだち)にはまって動けないようなあり方となる。

しかし、過去の原因を結果として受けているけれども、過去の原因は結果として実を結んだ。完了した。瞬間瞬間、結果は完了しているともいえる。

瞬間瞬間、実を結んで完了している。すべてが結果として完了していく、消えていく姿ととらえることもできる。

完了したということは、すなわち瞬間瞬間をあたらしく創造するともいえる。結果ではなくて、原因として生きるということだ。仏教では「本因妙」という言い方をしている。

なにかよくないことがあったら、うわっ困ったどうしよう。焦ったり、被害者意識にとらわれてしまう。過去を反省し、悔み、自分を責め、人を責めたりする。

けれども、よくないことがあったというのは、ああ、これで完了した。よかったよかったとよろこぶべきこと、ともいえる。それで終わったのだから。解消したのだから。過去のカルマが完了したのだから