「この現実は、マハー・ムドラーだよね。逃げたらダメ。直面するしかない。そしたら、完了する。その時こそが飛躍のチャンスなんだ。しかし、それってたいへんだよね」。
友人と、そんな話をしたのだった。新年は訪ねてくる人もいないし、訪ねていこうとも思わない。ひとり暮らしだったので、ひさしぶりに何人かの遠方の友人と電話でやり取りをしたのだった。
マハー・ムドラーは、密教の考え方で、くわしいことは避けるが、ざっくり言うと、マハー(大いなる)ムドラー(象徴)。いわばこの日常が、すべてマハー・ムドラーだともいえる。
やってくる現実。直面せざるを得ない現実。こんなはずじゃない事実。意図しないのにせまってくる現実。うまくいかない現実。避けたい現実。過酷な現実。
日常の暮らしは、実のところ化城(仮のもの、過ぎゆくもの、まぼろしのようなもの)であろうが、現実の宝処(ほうしょ)そのものだ。念念(瞬間瞬間のいまここ)の化城、念念の宝処。まさにマハー・ムドラー。「試練」ともいえる。
そんな話をしながら、溜めに溜めた数年分の確定申告の申告書づくり。領収書の入力を続けている日々。それでいて、法輪功を映像で学びながら、小難しい仏教の論文など読んだりしていた。