過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

「摩訶般若波羅蜜多経(大般若経)」600巻

先日、訪ねた山奥の禅寺。森町の田能という集落にある蔵泉寺だ。のどかで穏やかな、いかにも山寺の和尚さんであった▲仏さんの像も、かなり風化して味わいがある。左が毘沙門天にみえる、真ん中は不動明王だろう。右は、わからない。観音様かなぁ。

この寺には、墨で写経した「摩訶般若波羅蜜多経(大般若経)」600巻があった。この大般若経は、南北朝期に写経されたものという▲600巻というと、たいへんな分量だ。これをよむのは、至難のワザ。読んだとしても、ちっともおもしろくないし、えんえんと長くて退屈極まりない▲そこで、禅宗では、大般若の転読といって、ええーーーい! と、題名と最後の部分だけよんで、ぱらぱらぱらと経巻に風を通す儀式がある。そのことで、大般若経をよんだことにするのだ▲この儀式は、えらくド派手で、祈祷ががっていて、大衆受けする。大般若経をよむことで、家内安全、五穀豊穣、疫病退散になるだとか、この転読の際に出る風に当たると、一年間は無病息災になるとかいわれる。

ブッダの教えが滅後、お経として伝えられ、数百年後に大乗仏教が成立して、日本に伝わる。いかにもありがたいものとして、一字一字が皆是れ仏として崇められる▲教えの内容そのものよりも、経典の功徳が賛嘆され、加持祈祷のごとくに扱われていく。あるいは、お経のタイトルを唱えただけで(南無妙法蓮華経)、お経の功徳があるという教えになったりもする。