過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

赤ちゃんの学びというところから

子育ての日々なので、赤ちゃんの学びというところから、考えている▲世の中の学びというのは、「正しい」ことがすでにあって、それをちゃんとやることが、いいこととされる。反復練習して身につけて、がんばってやりとおすことが、すばらしい▲勉強って、強いて勉めること。だから、努力、あきらめない、勤勉がすばらしいということになる▲でも、これは学びの本質じゃなくて、いわば機械的な訓練みたいだ。

訓練のような学びは、たのしくない。ワクワクしない。躍動しない▲それはどうしてかなぁ……。そこに変化がないから、おなじことの繰り返しだから。すでに正しいことでーんと鎮座していて、逆らえないから。自分なりの発見がないから、いろんなやり方があるのに、これだとすでにきめられていて、選択肢が少ないから▲こういう学びをやっていくと、感性が摩滅していく。硬くなって、閉じていく感じがする。

学びとはたのしいこと。つねに新鮮で、変化があって、おんなじことの繰り返しでないのがいい。反復練習、機械的な訓練じゃないもの▲すなわち、自己観察、気づき、微細な変化に意識を向けていく。からだぜんたいで味わえる、楽しめる、満ち足りていられること、そういう学びを探求していきたい。赤ちゃんは、そうやって生きているような気がする。