過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

どのように接しているのか、自分の身体・心の動きから、学びが起きる

むかしは、一流の人、有名な人、すごいと言われている人に出会って学びたいと考えていた。
そして、あちこちに出かけた。雑誌の取材の仕事もしたので、それこそ「すごい」と言われる方にお会いしてきた。
たしかに、そういう人はすごい。そして、多くを学んだ。
しかし、自分の生き方の変容には至らない。
そりゃそうだ。たかだか、数時間、お話を聞くだけのことだから。ま、そこから原稿にするという作業で、言語化する訓練にはなったけれど。
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で、いまは、こんな山奥に引っ込んで、介護の仕事を始めて、どこかに行くということはできなくなった。接するのは、80代、90代のお年寄りばかり。
しかし、こうしたごく普通の人たちの生き方に触れることで、気づかされることがいっぱいある。その人の生き方、暮らし方からの学びがある。
また、自分がそういう方たちにどのように接しているのか、自分の身体の動き、心の動き、そういうところから、学びが起きる。
そして、なにより家庭をもち、子育てを通して、いっぱいの学びがあるというところ。魂磨きになっていく。
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山本周五郎の小説に「内蔵允留守」(くらのすけるす)というのがあった。たしか、中学か高校の国語の教科書に収録されていたのを覚えている。こんな荒筋だ。
虎之助は、剣術の奥義を極めようと別所内蔵允(べっしょ・くらのすけ)という師匠を訪ねる。しかし、内蔵允は不在であった。
では、帰るまで待とうと、近くの百姓の家に厄介になる。
しかし、いつまでたっても、蔵之介は帰ってこない。
あきらめて、そこの百姓家で仕事を手伝う。その百姓は、まことに見事な生き方で、その耕す姿、日常の暮らしから、虎之助は多くのことを学ぶのだった。
そして、ある時、気がついた。じつは、その百姓こそが、剣術の師匠の蔵之介であったことを。