いつも気にかけて励ましてくださる勝坂集落の大石さんが、妹さんとともに来訪。産後の肥立ちに、鮎とたくさんのミョウガをいただいた▲大石さんは、来られるたびに、丸太を切って作った椅子、山菜の佃煮、手作りコンニャクなど、いつもお土産をくださる。
大石さんは、四百年もつづく勝坂神楽の貴重な担い手だ。今年、楽舎が主催した「いにしえをつなぐアーティスト」のイベントでは、味わい深い口歌を披露していただいた▲こうした長き伝統ある歌というのは、まことに心に染みる。風雪を経た時間のなせるワザもあるし、集落に幸あれという思いで神さまに祈るような歌だからか。いい喉を聞かせてやろうとか、そういう私心がないからか▲だが、山里の祭の継承は、過疎高齢の山里にあっては、とても難しい。なにしろ、この集落は14世帯しかない。若い人はほとんどいない。山里の祭は、どこの地も担い手がいなくなって、消滅の流れにあるのだ。
けれども、小さい集落であるがゆえに、手を打てば効果は現れやすいとも思う。この一年のうちに、すこしずつ動きが出てきた▲親友の若林くんが、使っていなかったバンガローの保養所に住むことになった。骨董と木工をしている斉藤さんを廃屋を紹介、2世帯しかない森山集落だが、改修しながら暮らし始めつつある。ともに60代前半、この地域では若い▲先日、Oさんを案内したところ、空き家を改修しながら住みたいという。山里いきいき応援隊の若者も、住むことになった。ともに30代だ。
学生たちの動きもある。浜松学院大の学生たちが、山里のサポートに勝坂に入りたいとも。静岡文芸大の学生たちも、勝坂神楽に関わってきている。また廃校の勝坂小を親子のグルーブで利用したいと、この夏、友人の縄文学校の方たちが宿泊した▲ほうっておけば、消滅集落になる。空き家と廃屋は、ざっと20〜30軒くらいはある。だが、空き家を活用したり廃屋を改修したり、廃校を活用したり、いろいろ工夫していけば、希望の光が出てくる。大石さんとは、いつもそういう話をさせてもらっている。