過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

まさにその当人がそこに現れる、ということが連続して

ある話をしていたら、まさにその当人がそこに現れる、ということが連続してあった。シンクロニシティ共時性)▲それは昨日のこと。友人と空き家さがしの途中に寄った、植田という集落の公民館。雰囲気のいい廃校と公民館がある▲「ここで、なにかイベントしたいね。地元のアーティストのクラフトフェアとか」「そうだ。盆踊りだっていいよね」「でも、よそ者が勝手にイベントしたら、難しいなぁ」「地元の実力者が動いてくれることがだいじだよね」。

そんなことを話していると、ちょうど軽トラが入ってきた。地元の人だろうと思って、あいさつ。「すいません、見学させてもらってます」▲こわいおじさんと思ったら、けっこうお話好きな人で、いろいろ聞いていくと、半生記を語りだした。毎日、ここにある何百鉢という小品盆栽の水やりに来ているのだった。この人が、この集落の実力者のおひとりだった。

「イベントいいなぁ。でも、女の子が踊ってくれるようなヤツにしてくれ」とおじさん。「そうですか。それじゃあ、ベリーダンスなんかにしましょうか」「うん、それがいいなぁ」と。そんな話で盛り上がって、そこは別れた。

次に、勝坂という集落で空き家さがしをしようと、いつもお世話になっている大石さんを訪ねる。わらびの塩漬けをたくさんいただいて、ムシャムシャ食べているところに、若いカップルが訪ねてきた▲「このあたりキャンプ場やってないんですか」。「ここも、あそこも止めてしまったよね」。とか話しているうちに、「ぼくらも一緒についてっていいですか」「ああ、いいよ」▲そんなことで、若林くんのロッジに行って、あれこれと話していたら、その彼女が、なんとベリーダンスをされているってことだった。