過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

山里にも、こうした碩学がおられる

さきほど木下恒雄さんが寄ってくれて、栗きんとん、厚焼き玉子、かまぼこだのと、正月用の食べ物をお土産にいただいた▲80歳になられる。遠州林業史、お茶の文明史など、郷土研究の著作が30冊ちかくもある▲たんねんに文献もしらべるが、徹底して人に会って取材していく姿勢がすごい。一冊の本を仕上げるのに100人くらいにあって、それを記録して書いている。

向学心がすばらしい。つねに問題意識をもって、どうしてだろう、どうなっていたのだろうという視点でものごとを探求されている▲立ち話で、江戸時代、山の人たちはどうして生計を立てていたのだろうか、という話になった。なにを売っていたのだろうか。木材はあっても、切りだして川まで運ぶのが至難。お米もとれない。お茶は明治になってからのこと▲では、なんだろう。「蚕ではないか」という。このあたり、古い家はほとんど蚕のための蚕棚があった。ということで、蚕をどのようにして飼って、販売につなげたのか。これからその研究をするのだといっておられた。

この地方の災害史の研究もしていて、国会図書館から明治の新聞のコピーを取り寄せて、克明に災害の年表をつくっている(写真下。手書きですごい努力)。また、いまの内閣の地方創生のはなしになって、増田寛也の「地方消滅」をこの正月に読まなくちゃいかんと言っていた▲山里にも、こうした碩学がおられる。お元気なうちに、こうした方から学べるうちに学んでおかねばと思う。