過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

仏陀の悟りとは何か、というすこし難しいお話。

仏陀の悟りとは何か、というすこし難しいお話。▲仏教というと、仏の教えだ。仏とは、お釈迦さま=ブッダ=ゴータマ・シッダールタのこと。仏教は、悟りを開いたブッダの教えをたいせつにする宗教ということができる。▲いや仏には、阿弥陀仏も、大日如来も……とか、じつはややこしいのだが、まずはインドに生まれたお釈迦さまの教えであることは、共通の定義だと思う。

そのお釈迦さまが悟りを開いていたのかどうか、それは自分たちにはわからない。だいたい会ったこともないしね。でも、仏教は、お釈迦さまが悟りを開いたことから出発する。▲では、その悟りの内容とは、なんなのか?  またそこが、とても難しい。やれ四諦だの八正道だの、十二因縁だの三法印だの、そういう専門用語を聞くたびに、眠たくなる。▲で、お釈迦さまの説いたところにわりと忠実であろうと言われる、原始経典からみてみたい。

「Majjhima-Nikaya」という原始経典にこういう言葉がある。▲「かくしてわれは、種々の過去の生涯を思い起こした。すなわち、一つの生涯、二つの生涯、三つの生涯、、、十の生涯、、百の生涯、千の生涯、百千の生涯を。幾多の宇宙の成立期、幾多の宇宙の破壊期、幾多の宇宙の成立破壊期を。われはそこにおいて、これこれの名であり、これこれの姓であり、これこれの種姓であり、これこれの食をとり、これこれの苦楽を感受し、これこれの死に方をした。そこで死んで、かしこに生まれた。かくのごとく、われはその一々の相および詳細の状況とともに、幾多の過去の生涯を思い起こした。これが、夜の初更において達せられた、第一の明知である。ここに、無明が滅びて明知が生じたのである。」

これによると、菩提樹の下で瞑想していたブッダは、まず第一日目には、過去の自分の人生、無限の過去の生涯をつぶさに思い起こしたとある。さらには、無限にある宇宙の成立と消滅までも、つぶさに見たということになる。