過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

「奴隷」か「ホームレス」か

究極の選択は、「奴隷」か「ホームレス」かな。奴隷は、自由がないが食っていける。「ホームレス」は自由だが食っていくのはたいへん▲ぼくはサラリーマンという奴隷暮らしは、12年間つとめた。一部上場企業を三つ経て、あと中小零細にも。そして、フリーランスというホームレスになって、20年余。なんとか「貧乏暇あり人生」をおくることができている▲フリーになって食っていける自信なんてなかった。どこで、どの分野で食っていけるのか、検討もつかなかった。なにが得意で、なにができるのかさえ、自信がなかった。だいたい、なにが好きなんだろう、ということも。

そもそも「寄らば大樹の蔭」として、いい学校を出て、いい会社に入れば安泰、として生きてきた▲で、大企業にいると、あれこれと仕事がかわる。営業から管理部門。販売管理も、輸出も、株式も、生産管理も、債権管理も、いろいろとやらしてもらった。まあなんとか、こなしていけた。けれども、これが専門だというものは培われない。

上司のおぼえがよければ、出世する世界だ。だから、上司の評価が大切。他人さまに評価してもらうという仕事ぶりになる。みんなそんなふうに仕事していると感じた。社長ですら、サラリーマン社長だ▲そんな生き方に嫌気がさして、やめてしまった。フリーで生きていくようになった。はたして食っていけるかどうか、そんなアテも自信もなにもない。だいたい、どこで勝負するのか、その土俵すらなかった。

でも、不思議なことに、出会いの縁にめぐまれて、いろいろな仕事をいただくことができた▲その仕事を通して、学びができ技術が習得され、ネットワークが広がった。安定性はないし、不安は尽きないけれども、なにより自由な暮らしができるのがしあわせだ。人にごまをすったり、上司の悪口いったり、愚痴をいうことなど、無縁の暮らしだ▲頼まれ仕事なので、ほんとうに自分がしたい仕事ではないけどね。まあ、そろそろ人生も晩年になってきたのだから、ほんとうに自分を表現する世界に入っていかなくちゃと思う。