過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

祖師の名前をあじわう

最澄」──穢れをはらい限りなく澄み切っていく。比叡山最澄の御廟所に行くと、澄みきったその雰囲気が感じられる。


空海」──空と海。すべてを受けいれる、なんとも大らかな感じ。「空」(くう)の海とも。つまらぬことにこだわるな。空を見よ、海を見よ。すべてを生かしきっているではないか、と。


法然」──すべてが然らしむる。流れを大切にして、大きなものにおまかせてしてしまえばよい、と。


道元」──「ドーゲン」という響きがいい。下腹に、どーんと響くような。瑣末なことにこだわるな、芯から観よ。腹の響きで生きよ、と。


日蓮」──太陽と蓮。朝の光をうけて、鮮やかに花が開く。きっぱりしたエネルギー。根っこの泥を大切にして思い切り花を咲かせよと。染まることのない花を咲かせよ、と。


一休」──一つ休もうか。ひとやすみ。あれやこれやと考えを巡らし、いそがしく立ち振る舞い、なんとかのため、であるべき、と暮らしているが、まあ、ひとつ、休まれよ。休んで、観なさい。己れを観なさい。あのひげぼうぼうの肖像画は、いかにも一休さんらしい。


白隠」──響きがいい。富士山をのぞんで、おもわず出てきたことば、それが「ハクイン!」であったとか。白雪があらゆるものを覆う。『駿河に過ぎたるものが二つあり、富士のお山と原の白隠』という歌がある。