九段下の坂道を歩く。暑い、暑い。日差しがきつい。8月15日。靖国神社に出かけた。
参拝者は、やはりお年寄りが多い。人間魚雷・回天に乗っていた方に話を聞いた。当時18歳でいま83歳という。敗戦から64年。戦争に行った人たちは、みな80過ぎとなっている。
陸軍兵士の格好をして歩く老人、突撃ラッパを響かせて行進する若者、特効服を着た者たち、鳥肌実など、いろんな人がいるものだ。
ここ靖国神社は、戦死した英霊がまつられている。けれども、いったいどういう考えで祀られているのだろうか。
神道では、死んだばかりの人間は、荒霊(あらみたま)である。それは祟る存在であり、ケガレ(気枯れ、穢れ)を及ぼす。そのため、鎮魂しなくてはならないとする。
長い年月によって、鎮魂された死霊は、和霊(にぎみたま)となっていく。その期間は、およそ33年かかるとされた。鎮魂された死霊は、和霊となることで、霊格があがり、氏神とか祖霊となり先祖を護る。
けれども、戦争で多くの若者が亡くなる。死んだばかりの者、殺されたり事故死であれば、荒霊である。日本は荒霊ばかりの国となってしまう。それでは意気が上がらなくなってしまう。
そこで、戦死は名誉あることであり、神となることだ。そういう考えを広めた。これは、かなり安直な思想だと思うのだが……。
ともあれ、戦死した者は、鎮魂の必要はなく、即座に英霊となって靖国神社に祀られるとした。あるいは、靖国神社に祀られることで英霊になるとした。
それらの死霊は、集合霊として大和魂となって、護国の神となるとした。そういう考えがもとになって靖国神社があるのだろう。
そんなことを考えながら、長い行列について参拝させていただいた。暑いうえに坐る場所も少ないので、お年寄りにはしんどそうだった。進軍ラッパやら特攻服の連中やら、鎮魂と祈りの場としては、どうも靖国神社は落ち着きがないのも、残念であった。