「池谷さんは、宗教とかよく研究しているけど、なにかを信じようってわけじゃなさそうですね」
──ぼくは、なにかを信じるために探求しているんじゃないんですね。ただ、おもしろいから探求しています。信ずる人のありよう、そのフィールド、集団原理、信ずるための理屈など、とてもおもしろい。尽きぬ興味があります。
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「そんな人はなかなかおらんでしょう。宗教にヘタに近づくと危ないし」
──たしかに、そんなにいないと思いますね(笑 ぼくの場合、どんな宗教でも興味があります。そして、外側からの観察じゃなくて、できれば自分で実践して、それなりに体感していくことにしています。
創価学会も、天理教も、霊友会も、立正佼成会も、真如苑も、神道も、既成仏教も、禅も念仏も真言密教も、ヒンドゥーもイスラムもキリスト教も、テンプルやモスク、教会にても行って体験してみました。それぞれ、味わいがあるものです。
〝あちこち無防備に近づくと、せっかくの先祖の徳を潰しますよ。石橋を叩いて渡るくらいででないといけません〟と心霊科学協会の霊能者から言われましたけれど。
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「いろいろやってみて、なにかこれだという宗教はみつかりましたか?」
──それぞれのよさがありますが、やはり原始仏教ですかね。ブッダの教えが実践的にも、理論的にも緻密ですごいと感じます。
〝なにかを信ずる〟というのではなくて、体験してみなさい。ブッダはそう言います。
ブッダ自身は、お経をよめとか、祈れとか、自分を拝めなどといっていませんね。
〝エーヒパッシカ〟(Ehipassika 「来たれ見よ」ここへきて実践してみなさい、すぐわかるから)〝伝承によるのではない、まのあたり体得されるこの安らぎを、あなたに説き明かそう。よく気をつけて行い、世の中の執著を乗り越えなさい〟(スッタニパータ)と。
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きのうの「いちりん楽座」のやりとりから。話は多岐にわたって5時間もおしゃべりしていた。そのうち「テーラワーダ仏教史」のカタリバを作るかなあ。