過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

ブッダの教え 、実践というところを基軸にして探求していこう

仏教とは「ブッダの教え」のことだ。ブッダとは「目覚めた人」を意味する。わたしたちは、眠っている。そうして、目覚めた人がブッダだ。真理に目覚めたともいえる。
ブッダが実在していたかどうか。すなわちゴータマ・シッダールタが歴史的にいたのかどうか。それは、考古学的には立証されている。インドに仏舎利も存在する。
---------------------
ゴータマが悟っていたのかどうか。ゴータマがはたしてブッダであったのかどうか。それは、だれにもわからないと思う。
だが、ゴータマを悟った人として崇め、その教えを無謬なものとして継承してきたのが仏教である。
ブッダの教えを継承した教団はたしかに存在した。そして、教えを政治理念として活かそうとした王も実在した(マウリア朝のアショカ王)。
王が建てたブッダを顕彰する碑はいくつか現存している。その獅子柱塔は、インドの紋章になっている。ちなみに、インドの国旗のマークは、ブッダの転法輪を示している。
------------------
仏教の教えは歴史も古く(2700年余?)、伝播も広い。(インド〜東南アジア、中国〜朝鮮〜日本、チベットなど)。時空の広がりからみて、その過程で、質的に変容していくのは当然だろう。
ブッダの直説という叙述の経典の数は膨大だ(八万法蔵と言われる)。しかも、経典間に内容が矛盾しているものもあり、どれがブッダの真実の教えなのか、わかりにくい。
ちなみに、キリスト教の場合は、聖典は「新・旧約聖書」としてまとめられて一冊だ。新約聖書でも、マタイ、マルコ、ルカなどそれぞれに大きな矛盾がない(ヨハネはすこし色彩が異なるが)。
----------------
ブッダの教えは、はじめは弟子たちによって口承で伝えられた。文字化されたのは、ブッダの滅後、100年〜150年とされる。大乗経典や密教などの成立は、滅後数百年である。こうしてみると、ひとつの巨大な文芸創作運動のうねりの感がする。
ブッダの教えと大きく異なることはない、と思われるのが、原始経典(ダンマパダ、スッタニパータ、その他パーリ語によるもの)。これらのテキスト間には、大きな矛盾はみられない。「苦・無常・無我」という三法印を外していない。
ところが、大乗経典になると、様相を異にする。苦・無常・無我の教えが、常楽我浄というように、永遠なる実在が説かれだす。ブッダも人格的な存在から、空想的な超越的な存在として描かれるようになる。
たとえば、無始無終の久遠仏(永遠仏)、阿弥陀や観音や薬師如来など、何千、何万という無限のブッダが登場してくる。さらには、大日如来毘盧遮那仏という法身仏(宇宙仏)も現れる。
----------------
さらには中国にいたって、仏教は「鎮護国家」の教えとして受け入れられてゆく。それが日本にも伝えられていく。効き目のある呪術的なものに変容していったのだ。
そうして、鎌倉時代には、法然親鸞道元日蓮など、独自の飛躍した教え、要点を深掘りした教え、個の救済に力点をおいたもの、民衆が実践しやすい修行等に変容していく。
-----------------
ともあれ、ブッダが実在したとしても、その方が悟っていたのかどうか、誰にもわからない。しかし、仏教とはブッダが悟っていたということを前提、お約束ごととしてスタートしている。
その教義の探求、歴史考証や文献探索など、とても魅力的な世界である。
しかし大切なことは、実践というところを基軸にして探求していこう、自らの生活のなかにあらわれた結果をもとに観ていこうと思っている。ブッダ自らが、「自ら実践して確かめよ」と述べているわけだ。