過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

カルマ(業 ごう)は必ず返ってくる

カルマ(業 ごう)は必ず返ってくる。
インドでは、それを〝カラム・カルマ〟という。
ヴェーダ哲学の根底にある思想だ。

仏教では、カルマ(業)は、身口意の三業(さんごう)という。
ヒンドゥーでは、身と言葉のみ。心は入らない。
しかし、言葉と身体は、かならず心から出てくる。なので、心こそが大切となる。
  ▽
過去世での行為はいずれ必ず自分に返ってくる。いま自分の行ったことは、やがて自分に返ってくる。因果応報の法則。

即、返ってくることもあるし。長い間かかって返ることもある。過去世のものが返ることもあるようだ。
ともあれ、いつ返ってくるのか、わからない。

縁によって種子となって育って、果実をが収穫される。因は縁によって結果となる。種を播いたら収穫される。
  ▽
よくないカルマを軽くしたり、あるいは返ってこないようにできないものだろうか。
いいことをしたから相殺されるってことはないのだろうか。

どうも、ないみたいだ。
以下、思いつくまま引用してみた。

『ダンマパダ』より

「71 悪事をしても、その業(カルマ)は、しぼり立ての牛乳のように、すぐに固まることはない。(徐々に固まって熟する。)その業は、灰に覆われ火のように、(徐々に)燃えて悩ましながら、愚者につきまとう。」

『なまけ者の悟り方』(タデウス・ゴラス著)

「カルマというのは、昔、自分が行なった行為のつけを支払うということではありません。あなたのバイブレーションがあがるにつれて、過去では避けてきた種類の体験に出会うようになったり、今、あなたが表面意識で欲していることとは違うことにぶつかるようになる、というだけのことです。

そんな時、新しい体験に対して心を閉ざしてしまうと、あなたのバイブレーションはまた元の低い状態に戻ってしまいます。」

『御義口伝』(日蓮の説いたとされるが偽作説濃厚。だが思想としては面白い)

「一念に億劫の辛労を尽せば本来無作の三身、念念に起るなり。所謂(いわゆる)南無妙法蓮華経は精進行なり」

無限の過去世からのカルマが、南無妙法蓮華経と唱えることで、瞬間瞬間、滅尽していく。まさに唱題行は、精進行である。(池谷の超訳