過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

外国語力

英語はずっと得意だった。文法やリーディングは好きなほうだった。しかし、会話は難しい。だって、英語を使える機会がまったくないんだもの。

そして、英語は試験勉強に使うものとして学んでいて、コミュニケーションツールとしての意識はなかった。読解力を身につけるのに、サマセット・モームとか、バートランド・ラッセルとか、ロバート・リンドみたいなものばかりだったし。

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はじめて海外旅行したのは32歳のとき。仕事だった。ドイツに行くのにバンクーバーでワンストップ。

可愛い女の子がいたので、はなしかけたのだが、通じない。

「どんなスポーツが好き?」しかし、「はあ?」。

sportsのRの発音ができてないので、通じないのだ。マザーとかサンキューのthもそうだ。

それから36歳でインドの一人旅。そのときは、インドイングリッシュでバリバリ通じた。Masterは、マスタラでいい。thousandは、タウジャンドで伝わる。

インド・イングリッシュなら伝わる。そのときの実感。

いいたいことをきちっと大きなことを伝える。単語力。

May I speak to とか Would you mind とか使う場面はない。

ゲストハウスに行く。

ルーム?(部屋はあるか)

フル!(いっぱいだ)

その程度でいい。

ま、インドを旅していれば、英語を使わざるを得ないので、なんとなく聞いてわかって話しても通じるようにはなる。ただ、アメリカ人のは英語はわかりにくい。

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インドで、出会ったスペイン人。

「コモエスタ・セニョール」「コモエスタ・セニョリータ」

そう発音しただけで、スペイン人はびっくりしてた。完璧だ。

そう、日本語は母音で終わるので、スペイン語インドは簡単なのだ。スペイン語ができれば、ボルトガル語もできるし、イタリア語まで展開していく。フランス語はそうは行かないと思うけれど。

司馬遼太郎は、大阪外外大のモンゴル学科だ。かれが言うには、モンゴル語の習得は、津軽弁よりもラクであったという。
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インドで出会った韓国人。話していてかれが韓国人とはわからなかった。日本で2年間、アルバイトして覚えたという。ハングルと日本語はほとんど似ているので簡単ですよ、といっていた。

また、インドのタミールの人で日本語を大学で習っている人はペラペラだった。日本語とタミールは文法全くおんなじなので、かんたんですという。

インドの最南端ケララ州で暮らすアメリカ人と友人だが、かれは高知で数年文化大師みたいな仕事していて日本語能力すごい。ケララで出家したのだが、ケララマラヤーラム語を話す時、いちど頭の中で日本語にして、その文法の構造でマラヤーラム語を話すという。

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まあ、そんなふうに外国語の習得にはいろんな方法がある。

「なんでもいいので外国語を学ぶといいよ」とあかりには伝えている。まあもこれからの世界の大勢を見ていると、やはりまずは英語、そして中国語。できればヒンディー語。あとは、縁があったのを深めればいい。

今年、うちに滞在したのは、タイ人とベトナム人。ペルー人もよくくる。そういう人たちと、会話していると、人生はなにはともあれコミュニケーション力がないとやっていけない、ということは体感していると思う。

まあ、外国語の前にもっとも大切なのは、国語なんだけどね。

これは、日々、論議している。

「いまのことを3点にまとめて話せ」

「ええと、①、そして②、③」と。

要点を一言で言う、あるいは三点でいうというようにやりとりしている。