人生で英語に費やした時間とエネルギーはすごい。中学3年間、高校3年間。浪人して1年間。大学でも授業があった。しかし、使えていない。ああ、もったいない。
実際に外国人と話すことはほとんどなかったので、話す自信がなかったし、そもそも相手に伝わるなんて思ってなかった。
なにしろ受験英語では、解読が主眼。バートランド・ラッセル、サマセット・モーム、ロバート・リンドみたいなものを訳すことがメイン。話す英語はもとめられない。リスニングは試験にないので、やらない。
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はじめて外国人と話したのは、京都のユースホステルだった。そこで、出会ったエチオピアの医者と一緒に京都を旅した時だった。お互いに英語力は弱いので、なんだか安心して適当に話ができた。
お寺を見て、ブッダは唯一のはずなのに、どうしてこんなにたくさんブッダいるのだ?
仏像や庭園が日本の仏教のシンボルというのであれば、どうしてこんなにごちゃごちゃたくさんあるのだ?
みたいな質問をされた記憶がある。
その次、仕事でドイツに行く時、アラスカのアンカレッジにワンストップした。その空港のラウンジで中学生くらいの西洋人と話をした。どんなスポーツが好きか?みたいな質問でも伝わらなかった。sportなので、rの巻き舌発音をしないと伝わらない。むしろ、スポルトくらいのほうが伝わる。motherひとつでも、thとrが入るので、発音しにくい。
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インドを何度も旅して、インド人とブロークンイングリッシュのやりとりをした。必要に迫られて、なんとか会話ができるようになった。インド人はthの発音など、タと発音されるのでわかりやすい。たとえば、千は、ワン・タウジャンドと。
しかし、アメリカ人と話すと、難しい。こちらは頭の中で英作文して話した伝わったとしても、相手が返してくるスピードと単語同士がつながる喋り方はつかまえられない。その点、英国人やドイツやフランスの人の英語は、わかりやすかった。
だがそれも、インドに長期滞在して、必要に迫られて体得していったこと。もうインドに旅することもない。外国人と出会わなければほとんど忘れていく。
近頃は、むしろ古代インド語(サンスクリット語)の祈りの言葉や歌を、毎日のように歌っている。サンスクリット語は深いので、意味を学んでいくのは楽しい。発音はしやすいし響きがいい。
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ところで、司馬遼太郎は、モンゴル学科であった。モンゴル語の習得は津軽弁よりも簡単だと書いている。たしかに、モンゴル語、ハングルなどは、文法も日本語とおんなじなので、覚えやすいと思う。
また、日本語は母音で終わるので、似たように意味では、ハングル、スペイン語、イタリア語。こういう言語を学んだら、効率よかったなあと思う。
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まあともあれ、これからの時代、やはり英語は必須。そして、中国とインドの時代になっていくと思う。子どもがサバイバルのためのワザとしては、英語、中国語、ヒンディー語がいいと思っている。
ところで、よくインドで聞かれた。
神道ってなんだ?日本の仏教ってなんだ?福岡正信(自然農法)を知っているか?芭蕉ってどういう人だ? ちゃんとこたえられる日本人は、少ない。
それにしても、日本人が英語に費やす時間とエネルギーがすごい。それよりも、日本の教養を学んだほうが、いい。日本そのものの歴史、とくに戦後史、さらには古典や宗教。