過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

いっそ海外に暮らしてしまうという道もある

日本で暮らすのは、やはりたいへんなこともある。暗いし、重たいし、窮屈。いっそ海外に暮らしてしまうという道もある。若かったらきっとそうしているなあ。

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たとえば、いまベトナムって年収20万円くらいなんだよね。ということは、日本円が10倍になるということ。暮らしも落ち着いていてピースフル、心のつながるネットワークができていれば、暮らしやすい。言葉の問題は大きいけれども。

ベトナムは仏教国。ベトナムの方たちと交流があるが、とても日本とは親和性が高いと思う。なにしろ、元の大軍と戦って侵入させなかった国、アメリカと戦って負けなかった国という点で、すごいものがある。

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年金で十分暮らしていける。たまに日本に出稼ぎに来て、ほとんどベトナムにいるという暮らしもありうる。

まあ、バングラデシュとかあたりだと、年収10万円くらいだろうからもっとラクだと思うけれど、暮らしがとても大変。イスラム文化圏だしね。

かつてインドは、月に2万円もあれば悠々と暮らしていけた。いまは、円安でそうも行かないかもしれないが。ブルガリアに暮らすバレリーナが、月に6万円あれば十分やっていけるといっていた(彼女にそのうち、GoogleMeetで出演してもらうつもり)。

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かつてタイで知りあったN君は、インドのファランポーンの駅前でムシロを敷いて簡易酒場をやってい女の子たち(50くらいの店)のところによく行っていた。安酒だし、おかずはウリみたいなもの。

警察は店を許可していないので、ときどき警笛が鳴って警察が来る。彼女たちも客も一緒になって他の公園に逃げる。そして、そこでまた飲みだす。

N君はその中で可愛い子を見つけて、結婚したいということになった。それで、タイの北東部のイサーンという田舎の村で暮らすことになった。60万円で新築した。

現金収入は、トヨタ期間工で寮に入り三ヶ月で100万円貯めて、あとは海外旅行していた。

ただ、「日本人は金持ちだ」ということで、親戚縁者が寄りかかってくる。アテにされる。ということで、みんなで働く道を考えた。それで、沼はたくさんあるので、スッポンの養殖を始めたのだった。それなら一族で経営ができる。

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いちど、日本で「さおだけ屋」をやりたいということがあった。軽トラと竿竹をレンタルして販売する。経費はかからない。売れた分の何割かが収入となる。

彼から連絡があった。
「運転に自信がないので、助手席についていてもらえませんか」。

それはおもしろいというので、一緒に竿竹を売りに行ったことがある。

軽トラで団地に行く。拡声器で流す。すると、お客が見に来る。一本500円だという触れ込み。しかし、「いやあお客さん、500円のはこんな弱いので、5,000円とか1万円のやつをおすすめします」みたいな商売だ。いわば「羊頭狗肉」。

かれの計画では、軽トラに乗って竿竹を売りながら、タイの妻とともに日本の旅をしようということだった。

ところが、彼が一人で仕事していた時、やはり運転がヘタで事故ってしまい、数日で諦めることになったのだった。

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若かったら、時給の高い国で働くのがよさそう。

アメリカ(連邦最低賃金は時給10.50ドル、平均年収は約1,319万円)やカナダ(バンクーバー:$16.75)、オーストラリア(税引前23.23豪ドル/時間、AUD=100円で計算すると2,323円)。生きた英語力を身につけてお金を貯めることができる。そのかわり生活はできるだけ質素に。健康保険も効かない。

ともあれ、暮らしていける道は、たくさんある。あとは踏み出すかどうかということ。