過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

一緒に、さおだけ屋をやった

タイの首都バンコクにある、ファランポーン駅前広場。国有鉄道の主要幹線4路線の起点駅だ。賑わいを見せる。
 
夕方になると駅前広場では、東北部のイサーン地方の娘たちが店を開く。イサーン地方は、タイでももっとも貧しい地方で、こうして出稼ぎに来ているのだ。
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地面に筵だけを広げた露天。その数200くらい。机も椅子もない。天秤棒で担いできた果物の瓜とウィスキーを出す。
 
客は、あの娘がかわいいな、この娘が楽しそうだと、眺めながら、地面に座って酒を呑んでは娘と語らう。安酒でおいしくはないが。
 
だが、この駅前では露天の営業は禁止で、ときどきピーと警笛が鳴って警官が取り締まりにやってくる。つかまったらたいへん。みんなで逃げ出す。
 
品物は没収されてしまうので、てんびん、筵、酒と果物を持って逃げる。客も持つのを手伝って一緒に逃げる。ぼくも筵を持って逃げた。それで、ちかくの公園でまた店開きする。落ち着くと駅前広場に戻る。そのことがおもしろかった。
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バンコクで知りあった友人のN君は、アイちゃんというかわいい娘が気に入って、日参していた。ついには結婚して、イサーンに暮らすことになった。
 
けれども、そこで暮らしても現金収入は得られない。食べ物は雑穀とキノコばかり。それで年に一度、日本へ出稼ぎに来ることになった。
 
トヨタの組立工場で3ヶ月働くと100万円貯まる。それでもう十分。一年は暮らしていける。東南アジアを旅してタイに戻る。
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そのかれがある時、訪ねてきた。
「こんど、竿竹屋をやるので、手伝ってほしい」。
 
聞けば、軽トラと竿竹をレンタルして売り歩きたいという。
軽トラに拡声機をつけて、団地を回るのだ。
 
一本500円という呼び声。しかし、実際には5千円〜1万円くらいの竿竹を売りつける。自信がないので、その手伝いをしてもらいたいという。
 
「ああ、それはおもしろいね。やってみようか」。ぼくはこういうことは、すぐに乗ってしまう。
 
一緒に、さおだけ屋をやった。その日は、一本売れた。これがうまくいけば、タイの妻と日本全国を旅しながら竿竹を売りたいという。寝泊まりはクルマの中だ。だが、けっきょく、かれはクルマで事故を起こして、さおだけ屋はあきらめた。
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かれは考えた。自分だけ日本で働いてお金持ってかえると、みんなが依存してしまう。なので、家族や親戚たち、一族で仕事ができるといい。それで、沼地のある土地を利用して、イサーンでスッポンの養殖を始めた。
 
その実業の才覚、度胸、やってみようという精神がすばらしい。その後、どうなったのか、連絡が途絶えているが。
 
旅のたのしさは異質な人との出会い。いろいろな人生とかかわらせてもらえておもしろい体験ができる。それが旅の醍醐味でもある。