過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

インドの旅といまと、どちらが修行になっているかというと

ヒマラヤの麓からインドの最南端を旅したことがある。バスと列車で100時間くらいの移動だろうか。昼も夜もおんぼろバスに揺られながら、谷底に転落しそうなところを走った。
 
ちょうど今の季節を旅してた。ナヴァラトリ(navaratri/ナヴラトリ=九つの夜・女神の祭り)という祝祭にあわせて一ヶ月くらいの旅であった。
 
ヒマラヤの麓、ヘラカーンとチリアノーラのババジのアシュラム。そこから、聖地バドリナート。さらには、ヨーガの聖地リシケシ、そしてダライ・ラマのおられるダラムサーラ。さらには、南インドのアンマ(マータ・アムリターナンダマイー)のアシュラム。
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バドリナートは、標高3000メートル。空気は清浄。風と光ばかりのような聖地。まことにスッキリ。しかし、あまりに寒くて風邪を引いた。なかなか治らない。
 
なんとか治さねばと、荒治療した。滝行やったりもした。しかし、ますます治らない。そりゃそうだ。
 
そのうえバドリナートは中国の国境近くにあって、そのあたりをふらふら散策していたら、国境警備兵に銃口を向けられて恐ろしい目に遭った。さいわいパスポート持っていたので、事なきを得たけど。
 
そうして、ダラムサーラというチベット難民のクラス高地にでかけた。たまたまチベット祭に出会い、ダライ・ラマの説法を直にお聞きした。
 
次には南インドへの移動だ。デリーまで13時間のバスの旅。座席から飛び上がるほど揺れる。デリーについて一日休んで、翌日、南インドに移動した。
 
こちらは鉄道だが、55時間もかかった。エアコンが効き過ぎで、寒かった。やっとのことで、インドの最南端のトリヴァンドラムに着いた。
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バックウォーター(運河)で船に乗ってアムリタプリへ。アンマのおられるアシュラムについたのが夕方。
 
その日は、アンマによるダルシャンが行われていて、アンマはぼくをみて、横に座っておれという。深夜の2時すぎまで、アンマの近くに座らせてもらった。
 
アンマのすごい慈愛のエネルギーに包まれて幸せだった。けれども、風邪は治らない。咳は止まらない。
 
アシュラムで一緒の宿になったオランダ人が、ぼくのひどい咳をみて、「おおイケヤさん、死んでしまいそうだ」と驚いてた。
 
血圧も上が80を切っていたと思う。さいわい南インドアーユルヴェーダが盛んだ。アシュラムの医師に薬草の処方箋を書いてもらい、まちにでかけた。
 
店に行くと、すごい数の薬草の瓶。処方箋を見せて、買い求めた。それを服用していたら、なんと数日で、快方に向かった。
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こういうひどい咳は、なにか変容をもたらす過程でしばしばあらわれるのだった。いってみれば浄化のプロセスだったのかもしれない。
 
まあしかし、よくぞヒマラヤの麓からインドの南端まで休みなく旅をしていたのだ。若かったから、アブない旅でもへっちゃらだった。無理しても行ける時に行っておいたほうがいいとは思う。いまとなってはまったくもう無理だから。
 
あかりとあそんでいるだけで、ヘトヘト。インドの旅といまと、どちらが修行になっているかというと、きっといまのほうだろうなぁ。