過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

ダライ・ラマ①

はじめてダライ・ラマの本に接したとき、深くてわかりやすく、その慈悲の心に感銘するところがあった。

「日本の仏教者のものより、わかりやすい。こちらのほうが仏教の本質を伝えているようだ。すごいな」と感じたことがある。40年ちかく前のことだ。

いまでこそ「チベット仏教はすごい」と認知されているけれど、その頃、ダライ・ラマは、あまり知られていなかった。「ラマ教」という宗教の親方という認識であった。

ラマ教は「仏教とは異なる宗教」であり「チベットという秘境で未開な土地の怪しげな宗教」というイメージがあった。

やがてダライ・ラマノーベル平和賞を受賞し、数々の著作を出版し、講演が欧米各地で行われ、映画にもなる。チベット仏教ブッダの教えの本道であり、 ホンモノだと思われるようにもなってきた。

日本で何度かお話を聞いた。通訳を介したお話は、あんまりおもしろくなかった。ぼくの無明の働きのせいか、その内容はほとんど覚えていない。

静寂にして不動で会場の空気感を変えるという感じではない。わりとキョロキョロしたり、体を揺らしたり動かす方だなあと思った。

でも、ちっともえらそうじゃなく、元気で快活、ユーモアがあってお茶目で明るい。声の響きが力強いという印象だった。

また、インドの旅でダラムサーラに滞在したとき、ちょうど年に一度のチベット祭があった。そこで、チベット人にお話しているダライ・ラマの姿に接したことがあった。

ダライ・ラマは、中国からインドに亡命したが、チベット人民には至高の存在だ。弾圧されているチベットの非暴力の象徴である。

ノーベル平和賞を受賞し、いまや世界に影響を与えている現存するスピリチュアリストとしてトップクラスの地位にある。

ちなみに、現存するスピリチュアリストとしては、他にローマ法王エックハルト・トール、ツツツ司教、ティクナットハン、サドゥグル、ディーパック・チョプラ、アンマ、スリースリー・ラビ・シャンカールなどが挙げられている。

ところで、「ダライ=大海、ラマ=師匠」という意味で、そのまま尊称なのだが、ダライ・ラマと書くと、呼び捨ては失礼だと言う人もいて、「ダライ・ラマ法王」あるいは、「法王さま」と呼ばれるようになってきた。

いまダライ・ラマが来日している。各地で講演し祈りの場をもっている。もはや宗教指導者として「威光」に満ちている。

ダライ・ラマに会ったよ。声をかけられたよ。目があったら笑ってくれたよ。握手したよ」などというと、「うわー、すごい」と言われたりする。「ダライ・ラマはすごい」という権威いうかパッケージになっている。(続く)