過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

こうして街に出ると、なかなか刺激になる旅であった

静岡まで会議(健康長寿財団)にでかけた。車はセルモータがイカれてアウト。妻の車も、エンジンがおかしい。軽トラで遠州森町の駅まで40分。天浜線に乗って1時間。電車の真ん前に経って次々と広がってゆく風景を眺めていた。掛川駅で乗り換え、東海道線で静岡駅。そこから徒歩20分、片道3時間の道のり。いつもクルマなので、徒歩と電車でいくと、新鮮だ。

通りを歩くと浜松とは違う静岡の「文化度」を感じた。浜松は、イオンのような郊外型の巨大モールができて、駅の周辺の店は、シャッター街。大きなデパートとかイベントホールがどーんとあるたけ。寄りたいなあという店がほとんどない。ところが、静岡は、歴史を経てきた個性的な店が残っている。なにげに歩いただけで、面白そうな店があった。

個人経営の「店」というのは、店主に「一家言」があり「美学」「哲学」があり「苦労談」がある。そこに触れれるのが楽しい。ぼくのような客は、軽くあしらわれつつ、懐にとびこんで相手の土俵で相撲を取ることになる。そこが楽しい。

まず古本屋。今どき、古本屋は珍しい。おやじが、ハタキをかけているなんて光景がいい。明治や大正時代の活字がめり込んだ古い本をめくるだけでも、次々とイメージが湧く。明治の熊田葦城の本など見つけた。

その隣は、ハーブと和紙の店。そこに入るとハーブのいい香り。そして、和紙で作った花、雲、鳥の羽のアート。それらがうまく額縁や透明の箱に入れられて、とってもおしゃれ。銀座や自由が丘で店を出したら、もう1桁高く売れるなあと思ったよ。あまりに魅せられたので、こんど、作家(島田市)の工房を訪ねてみようと思った。

それから、隣が骨董品屋だ。店主は北京から出てきて34年。「10年前と違って、商売うまくいかないよ」と言っていた。「当時、60代の客がもう80代、70代位の客は90代。若い人箱向きもしてくれない」と言っていた。
中国とか、チベットとか、朝鮮とか、タイとか。朝鮮由来であろう真鍮の仏像などほれぼれするのがあった。

そのほか、夢二、棟方志功雪舟(偽物にきまっている)、鉄舟、イコン、ガラス絵やらおもしろいものがたくさんあった。店の奥から次々と探しては、見せてもらい、骨董談義が楽しかった。そこに、骨董品に詳しい客も現れて、これは鄧小平の娘の描いた絵だとか、長男は文革の時、紅衛兵にやられて身体障害者なったとか、まあいろいろ話し込んだのであった。

帰りも長時間の列車の旅。電車の向かいにぶすっと座っていた女子高生が、ホームに降りると彼氏にばったり出会って、おもわずにっこりする表情など、おもしろかった。山里にいるとお年寄りしか出会わないが、こうして街に出ると、なかなか刺激になる旅であった。

 

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