過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

意念というのかイメージをシフトするだけで、人の体は自在になるものだなあと体感

「意念」を確認した。

意念によるイメージで、いともかんたんに人は動かせる、自分の身体は崩れない。

太極拳の講座に出た。指導してくれるのは60台くらいの小柄できりっとした女性。参加者は20名余。8割が女性。太極拳の基本を思い出した、これはじつにいいね。動く禅でもある。あかりも参加したが、好きに遊んでいた。

ぼくの動き見て「ヨーガをされているんですか?」と。「ええ、まあすこし」。

それでいろいろ「氣」についてのやりとり。

「立ったままで、足から根がしっかり張っているというイメージをしてください。」

そうすると、押されたらグラグラしていたのに、動かない。揺れるけれどしっかりしているのを実感。

「指の先のずっと先のほうを見てください」というと、腕を押されても、曲がらないことを実感。

ぼくの得意なのは、相手を押すときのイメージだ。

そこに人がいて障害物があって、押そうとすると相手は踏ん張るので力がいる。力と力の拮抗になる。ところが、相手がそこにいないかのようにそのまま通過する気持ちで押していくと、相手は崩れる。相手は力が入らないのだ。

これは「鍛える」とかいう世界ではなくて、意念というのかイメージをシフトするだけで、人の体は自在になるものだなあと体感したのであった。