過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

大人も楽しめること。いっしょにびっくりできること。

なにが起こるのかわからない。目を離すと川に入ろうとする。高いはしごに登りだす。床下に潜り込む。
なんにもおもちゃがないほうが、かえっていろいろ工夫して作りだす。その共同して工夫するところが、おもしろいんだろう。
大人はそれを見守る。かといってつねに緊張して看ているわけではなく、おしゃべりしながら子どもの動きには意識を向けている。なにかあったら、さっと動く。
大切なのは、大人も楽しめること。いっしょにびっくりできること。まあいわば、子どもが先生で大人は生徒と。
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以下『センス・オブ・ワンダー』(レイチェルカーソン著 佑学社)から
わたしたちは、嵐の日も、おだやかな日も、夜も昼も探検にでかけていきます。それは、なにかを教えるためにではなく、いっしょに楽しむためなのです。
ただ、わたしはなにかおもしろいものを見つけるたびに、無意識のうちによろこびの声をあげるので、彼もいつのまにかいろいろなものに注意をむけるようになっていきます。
子どもといっしょに自然を探検するということは、まわりにあるすべてのものに対するあなた自身の感受性にみがきをかけるということです。それは、しばらくつかっていなかった感覚の回路をひらくこと、つまり、あなたの目、耳、鼻、指先のつかいかたをもう一度学び直すことなのです。
「もしこれが、いままでに一度も見たことがなかったものだとしたら?もし、これを二度とふたたび見ることができないとしたら?」
子どもといっしょに宇宙の美しさに酔いながら、いま見ているものがもつ意味に思いをめぐらし、驚嘆することもできるのです。
地球の美しさと神秘を感じとれる人は、科学者であろうとなかろうと、人生に飽きて疲れたり、孤独にさいなまれることはけっしてないでしょう。