過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

タルムードのレイアウト

インドで列車の旅をしていると、イスラム教徒が朝、『コーラン』をみんなで読んでいる姿に接したことがある。
また、ユダヤ教徒は、「タルムード」を読む。また、「トーラー」(ユダヤ教の聖書(タナハ)における最初の「モーセ五書」)は暗誦しているという。
バル・ミツバーという儀式がある。 ユダヤ人の男の子は13歳になるとユダヤ人コミュニティの一人前のメンバーになる。 そのためにも、「トーラー」は暗唱している。意味は「戒律の息子」ということだ。
「タルムード」に興味をもった。文字ばかりのものが、いかに読みやすいように工夫されているか。
新聞作りのレイアウトにも参考になった。おそらく数千年前の文章デザインの先駆だったろうか。
当時、活版印刷術はないので、一つの書物を、みんなでぐるっと囲んで読むのだろう。
読む人たちは、どんな位置からでも読める。
ある講演会でレジメを作る時、このトーラーのレイアウトを真似て作ったことがあった。聞いている人が眠たくならないように。わざわざ入り組ませたりして。
以下、ユダヤ人のモーシェ・フェルデンクライスの話から。
  ▽
ベドウィンやイェーメン人はわたしたちのように字を書くことを学んでいません。先生の手に一冊のコーランがあるだけで、すべての子供がそれを手に入れるだけの余裕があるわけではありません。わたしたちが学ぶすべてのことのうち、彼らは少なくとも二つの組み合わせを学びます。一つではありません。わたしは汽車に乗っていて、そのことに気づいてびっくりしました。
キリストそっくりの顔をした一人のイェーメン人の男と隣り合わせになりました。美しく、知的で、人のよさそうな顔つきでした。一見して教養のある人間に見えました。ところが、彼は本を逆さまに持ってページをくっていたのです。ひじょうに興味を持っている様子で、明らかに読んでいるのでした。わたしは彼を見て、この男は馬鹿なのだと考えました。そうでなければ彼のやっていることは理解できません。
「読めるのですか?」とわたしは訊ねざるをえませんでした。すると「読んでいると思わないのですか?」と彼は言いました。「だって、そんなふうにして読めるのですか?本を逆さまに持っているではないですか」すると彼の言うには「逆さまとはどういうことでしょう?どちらを上にするのが正しいのでしょうか」。どうやらわたしが相手にしている男は火星から来たのではないかと考えました。わたしが理解できないでいるのを見てとると、彼は大笑いしました。
「わたしたちイェーメン人は砂漠に住んでいます。わたしたちの住む町には聖書が一冊しかありませんが、子供たちはみんな読み書きを習わなくてはなりません。そこで先生が一冊の本を持って、子供たちはその周りに座ります。先生は本を広げてみんなに見せます。
初め神は創り給いき。一人一人は違う角度から本を見ますが、時々場所を入れ代わることになっていますから、だれもがどんな角度からでも読めるようになります。わたしたちにとって逆さまなんてものはありません、どんな角度でもいいのですから」そして彼はこう言いました。「みなさんヨーロッパ人は一つの角度からしか本を読めないのですから、愚かものということになります。大学までいっているのに本を一方からしか読めないのです。ほら、この本を持って好きな角度にしてください。わたしには読めます。どっちから見ても、oはoですし、eはeです。字のパターンがわかればいいのです。
フェルデンクライスメソッド』モーシェ・フェルデンクライスより