過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

心身の全体性を取り戻すような至福の時間

露天風呂に入って星空を眺める。赤く燃える薪の炎をながめていると、時空を超えて神秘の世界に入るようだ。
 
ゆったりくつろいでいるんだけれど、なにしろ露天風呂だから、首から上は冷気にある。身体はゆるんで、頭は冴える。
 
瞑想というよりも、なにか心身の全体性を取り戻すような至福の時間。自己観察の時間でもある。
 
フェルデンクライス博士のレッスンの実況を、たまに読み返す。それは講義や講座ではない、心身の有機的統合のワークショップの内容だから、わかりにくい。しかし、深遠なありようが伝わる。
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いいですか、正しいことを正しくやるならば、それは機械的な訓練です。学習ではありません。訓練と学習を区別することは重要です。
 
訓練する場合には、すでに知っていることをおこないます。だんだん慣れてうまくはなるでしょう。しかし、それはすでに知っていることを超えることはできません。別の選択はなく、代わりもなく、改善もありません。
 
わたしたちの求めるのは「ユリーカ」体験のような体験です。そのためには、訓練を自己観察に変えなくてはなりません。
 
「心をひらく体のレッスン」(モーシェ・フェルデンクライス:安井武訳:一光社刊)より
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ちなみに、「ユリーカ」とは、Eureka(エウレカ:ηὕρηκα!)。「わかった! わかったぞ!」という叫び。古代ギリシアの数学者アルキメデスが、風呂に入っていて、原理を発見したときに叫んだ言葉として伝わっている。