友人の「臨死体験」の出版は断念した。
①心肺停止13分間の後に蘇生した友人の垣間見た死の世界。それは限りなき安らぎと清浄に満ちた世界であり、じつにユニークな体験だった。
②「出版するといい」と、縁のある出版社に企画書を送ったところ、PHPが「ぜひ出したい」と言ってくれた。さっそく編集者が本人に会いに来た。
③社内決定も行われ、原稿を仕上げるのみとなった。ぼくはそれでお役目は完了と思っていたら、「この企画は、いちりん堂さん(池谷)だから通ったのであり、いちりん堂さんが編集に関わることが条件」とされた(これまでのPHPにおける30万部という販売実績から、池谷なら大丈夫という信頼関係があった)。
④友人は文章力、語彙力に長けている。自分の体験でもあるし即座に240ページを書き上げた。
⑤しかし、ここから編集するのは難しい。全部おまかせなら、ぼくは編集しやすい。あるいは、喋ってくれれば語りおろしで本にできる。人の文章を逐一直すとなると、その人の思いが強いので、ややこしいのだ。綱引きになる。
⑥案の定、直す過程のものを友人に見せると、「それは」の「それ」が何を指すかが、わからないので、日本語になってない。「おそらく」と「たしかな」が矛盾するとか、骨組みでなくて細かいことからあれこれと論議。
⑦それでは、お互いに消耗だから、「こちらに全部任せたらいい」あるいは「ぼくがインタビューするので喋ってくれたら書き上げる」。それがぼくとしては一番ラクなんだ。
⑧そう言うと、かれは途端に、モチベーションが下がり、やる気を失って。「それでは、まるで仕事みたいだ。聞いたことしか答えない」というスタンス。うむ。そもそも仕事なんだけどねえ。
⑨ぼくは楽しそうに体験を語ってくれる人、あるいは本が出ることをともに喜んでくれる人でないと、力が出ない。このままでは、お互いに消耗だ。楽しくない。
⑩ということで、「この企画はやめよう。そちらは、書きたいように書くという自費出版でやればいい。これはおしまい。」ということで、完了した。
⑪まあ、ここに至る過程は、よくあることで、あとあとそれなりに生きてくる。ムダにはならない。