過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

吉原幸子さんの詩集だった

今日届いた。吉原幸子さんの詩集だった。
現代詩文庫56「吉原幸子詩集」169「続・吉原幸子詩集」。そして写真も。
18年ぶりの重版を記念して、2冊セットで10名にプレゼントというFacebookの投稿を見て、応募したのだった。
これが不思議で、その日は、風呂に入っていた時、ふと吉原幸子さんのことを思い出していたのだった。そして、Facebookをみたらプレゼントということで応募。当選して送っていただいた。
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原幸子さんにお会いしたのは、いまから40年近くも前のこと。
「歴程」(草野心平中原中也らが立ちあげた詩人の集い)の軽井沢の合宿。ぼくのようなものでも参加できた。
山本太郎辻井喬、長谷川龍生、入沢康夫、粟津則雄、新藤凉子、長谷川龍生、いろいろな詩人たちがいた。そのときは、ぼくは詩のことなどほとんど知らなかった。
辻井喬という詩人と直接、お話した。が、その方が西武百貨店堤清二ってことすら知らなかった。
いろいろな方が自己紹介された。そのなかに美しい方で、落ち着いた声の響きが印象的な方がいた。それが吉原幸子さんだった。
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夕方の飲み会で、なにか歌えと言うので、さだまさしの「無縁坂」を歌った。吉原さんは、「母がまだ若い頃……」の出だしのところ、それだけで泣けるわぁ、と。
「舞踏会の手帳」というジュリアン・デュヴィヴィエ監督の映画の話をした。ぼくがデュヴィヴィエの「デュ」にアクセントを入れて話をしたら、そんな気持ち悪い発音しないで、「ヴィエ」にアクセントがあるのよ、と発音してくれた。
吉原さん自作の、阿部サダをうたった詩を朗読してくれたが、その切々と迫る語りがとても印象的だった。
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なにしろ40年近くも前の話であるが、その当時の人生が出来事がありありと浮かんでくる。不思議なことだよね。そのときの自分はもういない。
そして、いまの自分もあとからみれば、もういないってわけだ。瞬間瞬間、自分というものはもういなくなるともいえるかな。移ろいゆく存在。そして、ふとしたとき、過去の記憶があざやかによみがえる。

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