過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

「跳び箱やりたい」という

あかりが「跳び箱やりたい」という。

跳び箱などない。椅子を跳び箱代わりにした。あかりは、手でついて跳ねてはみたが、おしりは椅子の上に乗っかってしまう。

──もっと前に手をついて。こうやって。はい、走ってきて。
と教えても、やはりおんなじことの繰り返し。

「だめ。できない。できない」と泣き出す。
──大丈夫だよ。きっとできる。できるから。はい。もう一度。じゃあ10回やってみよう。

しかし、10回も20回もやっても、おなじことの繰り返し。これでは、1万回やっても、できない体験の確認になるだけ。

うーん。なにかコツがないかなあ。
跳べないというのは、台に手をついた時に、後ろに押してないんだ。そのことをわからせなくちゃいけない。どうしたらいいか。

そうだ、蛙跳びだ。
──じゃあ、蛙跳びやってみて。
廊下でぴょんぴょん跳んだ。おとうちゃんも一緒に。

──そうそう。その勢いで、はい。それで跳んでみて。
すこし跳べた。そのうちなんとかなりそう。

運動神経はいいほうじゃないな。走り方も安定していない。フラフープも縄跳びもできない。ましかし、ボールはちゃんと受け取れるようになった。自転車も乗れるようになった。鉄棒もぐるりんとまわれるようになった。
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体の動きを教えるというのは、なかなかむつかしい。
教えなくても自分で経験していくごとに、わかってくる。

あかりとよくプロレスをやる。投げたり持ち上げようとすると、しっかり腰を落としてそうさせないようになってきた。自然とマスターしていくもんなんだなあ。

でも、「できない」と思ってやると、いくらやってもできない。
「できる」と思わせるためには、なんどか挑戦させなくちゃ。コツを適確に伝えて達成させられたらいいんだけど、そこが難しい。
自分は父親に、そういう運動のコツみたいなことを教わった記憶がない。だいたい、一緒に遊んでくれる父親ではなかった。いつも、うるさいとか、静かにしろとか言われて、煙たくて、こわい存在だったなあ。

あかりは、お父ちゃんのことなど、ちっとも怖がらなくて、こちらを叱り飛ばしてくるよ。