過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

学校教育での国語について

ふりかえると学校教育の国語はムダであった。
どれが正しいかとか。これはなにをさすかとか。作者が言いたいことはなにか、とか。
試験があるから、つまらないものになる。ただ、おもしろい先生が多かったので、そこは救いだった。
むしろ授業では、歴史をまなばなくちゃいけないと思う。とくに戦後史から。
文章力は必要。しかし、文学的な表現は必要ない。実務文。わかりやすい、親しみやすい、伝わる文章が書けること。
ちなみに、法律や判決の条文、行政文書などは最悪のたぐい。憲法など悪文。所得税法など、まったく意味不明。
ポイントは、「ひとことで何をいいたいのか」が言えることがたいせつ。
読書力はたいせつ。読書を通して、ほとんどすべてを学べると言っていいと思う。名文・古典は読みたい。
しかし、読書感想文などを書かせるのでみんな嫌いになる。感想文は必要ない。そのことの意味がわかる。要約できることがたいせつ。ポイントだけ抽出できればいい。
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むかしの試験問題で、フランクリンの話が出ていた。
フランクリンの家には、壁に小さな穴が二つある。
客が「どうしてか」と聞くと、フランクリンは「うちには猫が二匹いて、大きな穴は大きな猫用。小さな穴は小さな猫用のものだ」という。
では、これはフランクリンの、どういうことをあらわしているか、次から選べ。みたいな問いであった。
ぼくが悩んだのは、どちらだろうか、であった。
①フランクリンの猫に対する愛情を示している
②フランクリンのユーモラスな暮らしを表している
ぼくは①とした。
そうしたら、バツで、正解は②だという。
どったでもいいじゃないか。二つとも正しい。まあ、こんなふうにつまらぬ設問が多い。
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「作者の言いたいことはなにか、50字であらわせ」みたいな質問もある。
そんなとき、自分の文章で要約したものだった。すると、いつもバツか減点。その理由がわからなかった。
後に編集の仕事をするようになってわかった。
作者が言いたいことは、文中にかならずあるのだ。そこを抜き出せばいい。
これは、ひとつは採点する効率のためだ。採点者は、文中のこの行を抜き出せばマル、そうじゃないとバツというようになっているわけだ。
このあたりは、試験のテクニックであるが、こういうことは、授業では教えてくれなかった。
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ところで、国語の教科書の作品そのものは、優れていて面白いものが多い。試験など関係なく、作品そのものを名文集として読み込むと、とても味わい深い。いまでもぼくはよく読む。
そして、国語の問題集み面白い。問題など解かないで出題されている文章そのものを、名文集として味わう。とくに、中1あたりの問題集がいい。