過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

たいせつなのは、自分で拝むこと、祈ること。

ネットで祈願受付をするということを始めた友人がいる。
さてどうなるか、とみていた。
もとより、かれには信仰を基軸にした生き方がある。たんなるビジネスじゃあない。
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一年で、すごい展開。
たとえば彼岸の供養。
それまで数体の申し込みが、いまでは千体ちかくの申し込み。
いくら申し込みが増えても、スタッフが必要なわけではない。寺も設備も必要ない。そのまま収益となる。すごいことだなぁ。ましてコロナ禍のいまの時代、ニーズがある。
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──でも、祈祷というと、その人の願望、苦悩、病気平癒などを引き受けることになる。他人のカルマを背負うんじゃないの。あとあと、そのことで痛い目に遭うってことはないの?
そう聞いてみた。彼いわく。
「法の力で祈願するのであって、自分の力じゃあない。仏力、法力につなぐわけだよ。そして信徒には、自分で拝むことが最もたいせつと、その心構えを教えている」
なるほど。それなら、問題なさそう。
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「坊さんの務めは、信徒に拝むことを教えることだよ。そのように、ずっと前に池谷さんから言われて気がついたことなんですよ」。
ああそうだっけ。そういう話をしたことがあったよな。もう忘れていたけど。
たいせつなのは、自分で拝むこと、祈ること。そのことを伝えるのが、僧侶の役目。先祖の供養も、自分の苦悩も、自分で拝む、祈る、念ずる。
そのための、方法、心構え、教えを伝える、場を整えるのが、僧侶の務めとおもう。
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あたりまえだけど、たんに教えるだけじゃない。自らが実践していなければ伝わらない。自らがそのように生きていないと、自分をごまかすことになる。いつかつらくなる。
多くの祈祷師、拝み屋、僧侶、教祖たちに出会って感じたことだ。