過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

真言宗の大本山の本を作ることになった

真言宗大本山の本を作ることになった。本日、とりまとめ役のお坊さんと、ZOOMでやりとりが始まった。コンテンツはまだこれから。雑談的なところから、すすめていく。第一歩の状態。
 
そのお坊さんの方と、雑談して体験を聞いたメモ。
---------------------------------------
小学6年生の時に手塚治虫火の鳥~未来編~」を読んだ。 不死になって喜んでいたのに、自分以外の人が滅んで、死にたくても死ねず苦悩していた。 それ以来、生きること死ぬことについて悩むようになった。
 
ある時、衝動的に「あ!死ぬ!死んだらどうしよう?どうなる?」と恐怖感が迫ってくる事が学生の頃に何度もあった。
 
寺に生まれた。父親は在家から出家。祈祷寺をつくった。
 
自分はお坊さんになるつもりはなく、大阪大学で哲学を学ぶ。 大 当時の私は、経済や法律などは「人間が作ったルールを実在するかの様に見せて、お互いあれこれしてるだけ」と思って勉強する気になれなかった。 「真実」を学びたかった。
 
かといってやりたい仕事がなく「お坊さんになれば両親は助かるかな」と思い、出家して寺を次ぐことになった。
 
哲学を頭で学ぶと、どうしても観念的、ニヒルになりがちだ。 修行では座学だけでなく、掃除や参拝、作法などを通じて体を動かすことになる。 そうする事によって物事をポジティブに考えられるようになる。
 
そして、もっとも大切なのは拝むこと。
祈る事を継続し、深めていくことで、信心決定というか、すこーんと開くものがある。まさに、帰依。おまかせの状態になることがある。悦びに包まれる。
しかし、そこで完成かというと、そうではない。また、その状態から離れる。ハマっては離れ、またハマっては離れ。その繰り返し。
 
真言宗大本山で修行させてもらった。そこの管長さんは、ほんとうに拝んでおられた。純粋に、一途に本尊を信仰しておられる。毎朝の護摩行は欠かしたことがない。また、側でついて、姿勢が一度たりとも崩れたことがない。まさに、ブレずに拝む方であった。
 
その管長さんの信仰のありようをいつも見ていて、この山は大丈夫と感じた。 お坊さんは、だれよりも深く信仰している人でなくてはならない。だれよりも、一途でなくてはならないと感じたのだった。