(3)(続き)牧師・司祭と外国人から見た日本人の宗教意識について語り合った。
まず日本人の信仰観の特殊性。新年の初詣、七五三のお参り、などをみていると、みんな神道の信徒かと思われる。お盆や葬式をみると、みんな仏教徒かと思う。クリスマスをみんなが祝うので、キリスト教を信じているのかと思う。
ちなみに、文化庁『宗教年鑑』(平成29年)によると、神道系の信徒が8千万人(47%)、仏教系が8千万人(48%)、キリスト教系が200万人(1%)、諸教が800万人で、合計1億8千万人と人口を超える。(ちなみに創価学会は公称800万世帯)
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日本人は、わりとなんでも構わず拝む。路傍のお地蔵さん、神社、仏さん。しかし「拝んでいるものが、いったい何なのか」。それはほとんとが知らない。知らなくてもいい、ということになっている。なんとなくありがたいから、拝む。
初詣で多いのは、明治神宮、住吉大社、平安神宮だ。しかし、その御祭神がどなたか、を知っている人はほとんどいない。また、神社にはいくつもの神さまが同居して祀られており、わかりにくい。神名を聞いても、よくわからない。
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また、宗教・信仰というものは、「特殊なもの」「アブないものむ「弱い者が信じるもの」という認識もある。
学校教育で宗教を教えないので、学ぶ機会が少ない。日本古来の宗教のありようが、よく分かっていない。他の国の宗教のありようは、これまたわからない。しきたりとか風習とか、昔からこうだったというところで、作法や形をたいせつにする。
これまで、よくインドを旅した(過去13回)。インドは、宗教のエネルギーが充満している国だ。宗教が、暮らし、文化を、ひとり一人の生き方を支えている。
旅先で、ヒンドゥー教徒、イスラム教徒、ジャイナ教徒、シーク教徒、ユダヤ教徒、キリス教徒、いろいろな宗教の人と出会い語りあったことがある。
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彼らから、日本の仏教について教えてくれ。真理は一つ、神は一つのはずなのに、どうしてあんなにいっぱい仏とか菩薩がいるんだ?
日本の坊さんは出家者か?ならばどうして妻帯しているんだ。あんなにキンキラキンの衣装をまとっているんだ?など。神道っていったい何なんだ?
そんな質問を次々と受けたものだった。それに対してわかりやすく伝えるというのは、かなり至難なこと(そもそも英語力がないのが難点だが)。
言葉の壁もあるが、日本人には、自分たちの宗教を客観的に見る、学ぶ、知る。わかのやすく伝える。そういうところが、少ないと感じた。ひとつには、他の国の宗教と比べてどうなんだろうという視点が弱い。そう感じたのであった。