以下、抜粋して引用。
-------------------------
一九二〇年一一月、北は大本本部に王仁三郎をたずね、大本の経営する新聞への掲載をたのんだ。
それを草版刷りで配ったところ、のちに露見して幹部が逮捕された(第一次大本事件の一因)。
また一九三五年暮れ、北は王仁三郎に革命計画をうちあけ、二〇万円の出資を乞うた。
ださなければ命をもらうと言った。
二・二六事件が起きたのは翌年の二月である。
--------------
(「著作集」第七巻「日本研究』所収)。