過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

この現実の人生ゲームを思いきり楽しむしかないってことに

──コロナのしめつけすごいですね。
 
「そうだね。なんというか、もう第三次世界大戦みたいになってきた。社会は滅亡してしまうかもしれないね。〈ノストラダムスの予言〉が、いき来たかって感じ」。
 
──「ノストラダムスの予言」ってのは、ここのところですね。「空から恐怖の大王が来るだろう、アンゴルモアの大王を蘇らせ、マルスの前後に首尾よく支配するために」。
 
「あの予言は、1999年に起こるということだけど、いまがそれかもしれないと思うね。コロナはさしずめ〈恐怖の大王〉。そして、パンデミックの後に、〈アンゴルモアの大王が蘇る。そして、支配する〉と。このパンデミックを利用して、一気に人類を支配しようということが起きるのかもしれないね」。
 
──どうしたらいいんでしょう。
 
「どうしようもないね。結局、人は死ぬ。自分は死ぬ。いつ死ぬのかわからない。事故死もあれば病死、平穏死もある。ともあれ、わが身に起きる現実はまちがいない」。
 
─そんなあたりまえの現実が、目の前に突きつけられるってこと。
 
「まさに。これはひとつのゲームだね。生きて死ぬというゲームに入っているのが人生。どうせ死ぬ。死んだらゲームセット。それはまったくおしまいなのか、あらたな解放とか光の世界かもしれない。それはわからない」。
 
──ともあれ、生きているのは、いまこの現実ですね。明日死ぬとわかっていても、現実とダンスするしかない。この現実の人生ゲームを思いきり楽しむしかないってことになりますか。
 
「それでいいし、それしかないよね。ダンスってのは、いまの現実の日々の変化に即して躍動していくってことだよね。しかと死を見据えて……」。