過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

いわば「失敗事例」から学ぶというところで、講演させてもらう

集落が自分たちの所有物と思っていたが、実はそうではなかった。建物を他人に貸そうという時点で、そもそも不可能なことであった。借りるほうは、集落の所有と思っていた。そこで正式に契約した。

機材もすべて入れ替えた。保健所の許可も下りた。レトルトパックのデザインもできた。真空パック機も発注した。「さあ稼働だ」という直前。「所有者」から「待った」かかったのだった。

所有者とは、市である。県であり、さらには国である。すなわち、公共の助成金で建てられた施設であった。「施設の助成金の縛り」があったのだ。

その「縛り」を貸すほう(集落)も認識せず、紹介してくれた人も知らず。それをつなげた私も、知る由もなし。すなわち、入り口から「アウト」の案件であった。
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今回のインドネシア家族によるハラール食品加工場の件である。当初からも、無理筋とわかっていたら、そ乗る話ではなかった。あるいは、背景を知っていたら、行政の規程をよみこみ、行政を絡めて、巻き込んですすめていたとしたら、落とし所はあったろう。

しかし、納得がいかない。かれらインドネシアの家族に申し訳ない。規程を読み込み、国の省庁レベル、大臣官房まで話を伝え、こちらの趣旨には賛同してもらえた。市も、「国の考えには従う」と回答した。

では「ゴーサイン」か、というと。これが手間がかかる。ーそれは総論であり、各論となると。一つ一つ精査していくということで、えらく時間がかかる。ということで、インドネシアの家族たちは、足踏みの時間がないし、光が見えてこない。なので、彼らには、撤退して転身する道をすすめた。

他の過疎地の加工所、さらには元社長の別荘など、いまあたっているが、時間はかかる。かかるけれども、かならずカタチにはしたい。できると思う。また、今回のことで、それを教訓として次に活かすことはできる。
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ま、ありがたいことに、マスコミ(東京テレビ、NHK、朝日、地元紙)も関心を示してくれて、昨日は、NHKが打ち合わせに来た。

また、隣の市町の議員さんから講演依頼を頂いた。議員と行政の方80名に対して、いわば「失敗事例」から学ぶというところで、講演させてもらうことになる。インドネシアの友人にも来てもらい、話してもらえるかもしれない。その流れから、次の展開も起きてゆくだろう。

ボタンの掛け違いで、トントン拍子ところで、急激に瓦解しそうになるという事例はよくある。いま、別にもう一つかかえている。ただいま奮闘中。それはまた、別の機会に書く。