過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

インドネシア家族による万瀬の食品加工所が暗礁に乗り上げた。

インドネシア家族による食品加工所が暗礁に乗り上げた。さきほど、山里の集落から撤退をきめた。かれらにも、そのように伝えた。行政からの結論が出るまで、時間がかかりすぎるからだ。こちらは、時間もエネルギーも余裕ない。以下、かんたんに流れを書く。

①友人のインドネシア家族(3世帯8名)が、ハラールムスリムのための食品)加工所を探していた。それをうけて探してみつけたのが、磐田市万瀬という山奥の集落の加工所であった。

②集落は「ぼうらや」という施設と「食品加工所」を所有している。いずれも、補助金でつくられたものだ。「ぼうらや」は昨年の4月に閉店。「食品加工所」は、年に一度使うかどうかのレベル。今後の活用もなさそうな施設。

③「ぼうらや」は、友人(杉山さん)が賃貸契約して、いま新規オープンしてよみがえりの動き見せている。その流れで、「食品加工所」も借りることができた、村人全員とインドネシア家族交流会も行い、建物の賃貸借契約も結んだ。保健所の許可もおりた。

④ところが、行政から「待った」がかかった。その理由は、加工施設は国と市が補助金を出したものであり、その「しばり」の期間が24年、まだ14年しかたっていない。補助金を出すときの要項に、「他に貸してはならない」という規定がある。規定がある以上、貸せないという。

⑤「ぼうらや」も補助金でつくられている。にもかかわらず「貸している」。その整合性はどうなっているのだろうか。

⑥しらべたら、「ぼうらや」は、合併前の旧豊岡村が補助したものであり、「他に貸してはならない」という規定がない。さらには、数年前に集落が買い取って、名義変更している。名義変更してある以上、行政がとやかく言う筋合いではない。

⑦ところが「食品加工所」のほうは、磐田市と県と国が補助したもので、性格が違う。「他に貸してはならない」という規定がある。その規定のことを知らずに、集落は貸す契約をしたわけだ。そこがそもそも間違いであった。そこで、集落の代表と市と会議をもった。磐田市役所は、規定から一歩も出ない。

⑧そもそもの「規定」を見せてもらう。よく読むと、「補助の目的に合うのであれば、貸すことができると」読むことができる。しかし、市に問いあわせてもラチが明かない。えんえんとやりあっても、時間とエネルギーの消耗だ。

⑨そこで、国とやり取りすことにした。いきなり「農水大臣官房経理課補助班」と「農村都市振興局都市農村交流課」の官僚に確認した。かれらは「当初の補助目的に反しなければ、事業主体が変わっても問題ない」という。総論では「池谷の言うとおりだ」という。じゃあ、貸してもいいということになる。市は国に遵守するという。

⑩しかしだ、まず事業の精査をしなくてはならない。次は「関東農政局農村振興部農村計画課」とやりとりしてほしいという。そうなると、いちいちまた書類を書いたり、事情の変更申請したり。インドネシア家族の計画が事業目的に合うかどうか、審査したりがはじまる。

⑪たぶん、承認されるだろう。ハラールの食品加工の仕事に入ることができると思っている。しかし、待たされる。そのために一か月も二ヶ月も三ヶ月も……。

⑫ぼくも、インドネシア家族も時間がない。次に転身したほうがよさそうだ。ぼくは、もうここで打ち切り。この経験を元にして、もっと有効な土地を、場所を見つけて、展開していくことになると思う。ぼくの務めはここでおしまい。この件は、これはこれで、完了。自分の事業にすすむ。

⑬このことはもひとつの事例となる。全国にある過疎地の遊休施設は、だれも使わず、使われず、借りて活用したい人がいても、「規定」がどうのということで貸すことができず、いたずらに老朽化して、解体していく。せっかくの過疎地の活性化、国際化、六次産業、異文化理解、インバウンドのチャンスは生かせなかった。そもそも、一番目のボタンの掛け違いということであった。

⑭この体験を次に活かすためには、貸してくれる相手は、そもそも誰なのか。どういう経緯でできた建物なのか。どういう縛りがあるのか、そのあたりを見極めることが大切。ま、そのあたりも含めて、外務省、内閣府にきちんと伝えて、事例として理解をしてもらおう。ま、そこまでやってもいい。

⑮事業そのものは撤退したわけではない、万瀬という集落から撤退ということだ。ともあれ「縁」がなかったと思うことにした。もしも「縁」があれば、磐田市のほうから、「お願いします、ぜひ使ってください」ということになるだろう。インシャ・アッラー(神の御心のままに。神の思し召しのままに)。