過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

①外国人との共生 講演を依頼された

(1)外国人との共生

「外国人が日本の社会で生きていく流れが起きている。その事例を離してもらいたい」。
そんなテーマをいただいた。友人の議員から講演を依頼された。 対象は隣の町会・市会の議員たち。
もしかしたら、過疎高齢の山里の活性化の方向として、外国人の移住に可能性があるのかもしれない。
そのためには、どのような課題があるのか。そして行政の対応は。集落の対応は。そんな「事例」を紹介させてもらう。
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日本は、急激な少子高齢化で、外国人労働者を受け入れていく方向性に大きく舵を切ろうとしている。少子高齢化社会にあって、労働者が不足している。
しかし、それは安価な労働力で、忙しい時によく働いてくれて、暇になったらいつでも首を切れる、というところから始まっている。
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日本は、島国のためにいわば「単一民族」(ざっくりいえば、だが)として共同体を形成してきた。とくに、地方、あるいは山里はそれが強い。集落のはほとんど親戚つながりだ。
その集落に、「言葉が違う」「習慣が違う」「宗教が違う」「見た目が違う」「ものの考え方が違う」。そういう人たちがともに暮らすことになるわけだ。
彼らは彼らで、別のコミュニティを持とうとする。 その時、集落との軋轢が生まれるかもしれない。「自分達とやつらは違うんだ」。そういう意識も生まれる。
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まあ、これは9年の田舎暮らしをして感じるのだが、地元の人と移住者とは、やはり一線はある。かたや血縁・地縁が濃厚の集落、そこにまったく縁もゆかりもない人がパラシュートのようにして降りてくる。50年暮らしても「よそ者」である。そういうことだ。
ましてや外国人となると、相当にありようが違う。大きく違うだけに、うまくいくかもしない。(もっとも日本人の特性として、白人に対しては寛容度を大きく示す。その半面、アジアの人に対しては、軽く扱うのだが)。
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ぼくが、「日本経済はどうあるべきか」みたいな新聞の社説、学者のような話をしても意味がない。この衰退していく山里にあって、日々の体験。起きた現実。その成功例、失敗例、あるいは、行政との壁について、実例を紹介させてもらおうと思う。(続く)