過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

こんな過疎地でも外国の人の働き方、生き方に学ぶ機会は多い

少子高齢社会③
 
日本の少子高齢化は、ずっと続く。この流れは止まることはない。そうなると労働力の確保としては、やはり移民政策に移行せざるを得なくなる。
 
また、日本人はどんどんと海外にでかけて、そこで活躍していくようになっていくのだと思う。
 
今年は、コロナ禍もあって、ZOOM楽座を開いた。すでに30回以上は開催した。
 
集いには、海外に暮らしている日本人の参加もあった。ドイツ、アメリカ、カナダ、インドネシア、インド、フランス、ハワイ、ブルガリアなどから参加してくれた。
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いま山里に暮らしているが、こんな過疎地でも外国の人の働き方、生き方に学ぶ機会は多い。
 
先週から、ペルー人の二人に、ベランダの屋根の取付工事をしてもらっている。なかなか手際がいい。スーパーハウスの移設、オープンテラスの設置も依頼するつもり。
 
かれらは日本に来て20年余。日本語は堪能。祖父が日本人。スペイン語ポルトガル語、イタリア語。英語も少し。
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この春には言語聴覚士ベトナム人女性が、施設のサポートに来てくれた。ピアノをょ演奏して賛美歌を歌ってくれた。ちかくの施設では、ミャンマーの介護職が二人きている。20代の青年だ。
 
ラクターは、ベトナム人の経営者から買った。中古を500台くらい備えていた。クルマの修理と中古車販売などは、ブラジル人の手際が見事だった。
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一昨年は、インドネシア人家族によるハラール食品加工場の立ち上げのサポートもした。祖父が元日本兵。かれらのイスラムの生き方は、自己を律する力は、いわば武士道のように感じた。
 
夫が春野町の出身、インド人女性がよく訪ねてくれた。ブラーフマン出身で、数千年に渡るヒンドゥーの祭祀、ものの深い考え方を学んだ。
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昨年の正月には、はるばる沼津からバイクに乗って、法輪功(気功)を教えに来てくれた中国人もいた。
 
まちなかに出るとよく寄るカレー屋は、ネパール人が経営している。ホスピタリティは、日本人よりも見事。合掌して迎えてくれる。あかりをいつもかわいがってくれている。
 
数日前は、この山里の広大な敷地の活用に、韓国の方が訪ねてこられた。多文化共生ビレッジのようなプランがうまくいくとおもしろいのだが。
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ともあれ、島国の日本でも、ますます多国籍になっていく。日本社会の中で、学歴だの偏差値だのと、優劣を競う時代は終わっていく。
 
自分しかできないワザ、真の実力を磨かないと、やっていけない時代が来ている。まぁ、ぼくはこのまま山里で、なんとか食いつないでいく人生でよし、というか、それがやっとなんだけど。どういう時代になっていくか、それを見通して人生を終焉することになる。