過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

長野貴晃さん講座(哲学 仏教 生き方講座)を開催 9月30日

長野貴晃さん講座(哲学 仏教 生き方講座)を開催する。先月に続いて2回目。参加したい方は、池谷まで(080-5412-6370)。定員20名。

日にち︰9月30日(日)13時半〜19時半

1部︰13時半〜16時(2時間半)

2部︰17時〜19時半(2時間半)

会場︰県居(あがたい)協働センター
浜松市中区東伊場二丁目7-2(商工会議所隣)駐車場無料あり。

アクセス︰浜松駅バスターミナル5番のりば「宇布見山崎」線、「商工会議所」下車、商工会議所南

参加費︰各部 千円

哲学 仏教 生き方講座というと、難しそうだけど、概念に知識の伝授ではない。すべて質疑応答。

前回の話のなかから、池谷が適当まとめてみた。講師の長野さんは44歳。京都大学医学部卒。しかし医者にならずに、生き方を探求。深い次元から即座に回答が出てくる。池谷が本作りをサポートさせてもらおうとしているところ。

なお午前の部は、10時から、おなじ会場の和室で、「田舎暮らし雑談会」を行う。こちらは、池谷の春野の田舎暮らし体験、田舎暮らしの事例、失敗例、企業についてなど、いろいろ雑談会。予約不要。いまのところ、7名くらいの参加予定。

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◉いまの自分を肯定する

次のステップに行くためには、今まで自分のしてきたことを肯定しなければ進めない。ネガティブな感情を持っていると、次のステップに行けない。そのためには、ネガティブなものを、とりあえずクリーニングしなければいけない。

どうしたらいいか。奥底に眠っているネガティブなものを、無理矢理に引っ張り出す必要はない。このいまの現実に、すでににじみ出ている。

今の自分に出てくる場合もあるし、他人の姿を通して出てくる場合もある。
自分が過去に悩んでいた問題が、他人において現れることもある。他人が、過去の自分の姿として現れている。役割を演じてくれていることがある。

自分がやられたことを、やりかえさなければいい。そのことで、過去の傷ついた体験は癒やされていく。

◉悩んでいる人を助けるということ

悩んでいる人を助けるのは、過去の自分の肯定であり、癒やしとなる。過去の自分が癒されていくことにつながる。

他人を助けている過程で、発見が出てくる。自分が悩んでいたことが、じつはこれだったということが、ぽっと出てくる。

過去のあのことがあったから今の自分があり、それは未来に生かしていけるんだということがわかる。

◉感謝がキーポイント

感謝がキーポイントとなる。いまこに起きていることを認めていくことが、感謝ということ。いま起きている現実を受け入れること。相手を受け入れること。自分を愛すること、他人を愛すること。

いいことを感謝することはも、もちろん。嫌なことが起きたときでも、感謝していく。「これを経験するために生まれてきたんだ。そのためにいまこうした現実が起きているんだ」と、ありがたく受け止めていく。

あたりまえだと思っていたら、感謝できない。ありがたいという現実、そこに気づくことで、「ありがとう」ということになる。

感謝に変えられたら、全てオッケー。そのことは、ムリムリでもいい。最初は「ありがとう、ありがとう」の言葉だけでもいい。起きられなければ、寝ていてもできること。それを行とし、習慣にしてゆく。

この現実は、いろいろなことが起こる。しかし、起きたことの原因は、なかなかわからない。すべてのものを認めて、感謝すると、起きたことの原因がわかってくる。「起こるべきことが起きたにしかすぎない」ということがわかってくる。この世界は、すべて意味があるということがわかってくる。そうすると、だんだん生きやすくなってくる。

◉良くないことが起こった時

前もって不幸を予測してしまうと、それに応じた未来が現れてしまう。もしも、悪いことが起きたとき、これで済んでよかったと捉え返してゆく。

そういった出来事が起きたのは、本来、別のところで起きなければならなかったのに、その出来事を通じて解消されたと思うこと。

◉先祖供養について

先祖供養は、死者に対する供養だが、生きている人を助けるのと全く同じこと。

他人を助けるのは、実は自分の幸せのためである。人に対して良いことをすると幸せになるのは、結局、自分である。利他というのは自利につながる。すべて深いところでつながっているからだ。

そうした行為は全部、自分のためになる。生きている人も、亡くなった人に対しても、それは通じていく。もちろん相手のためにもなっているが、本当は自分のためである。他人の幸せを祈ることは、自分も幸せになっていくことに通じてゆく。

大切なことは、自分自身が楽しくやらなければならない。自分が犠牲になってやっていては続かない。

つねに先祖のことを祈ればいいし、お墓の前でなくても、祈ればいい。親しい人、縁のある人、さらには憎らしい人のことまで祈ればいい。

苦労などを霊の祟りのせいにしているとしたら、自分が逃げているだけ。タタリではなくて、ほんとうはぜんぶ自分が引き寄せている。自分がほんとうに変わろうと思えば、この瞬間から、変われる。

◉相談事を受けることについて

相談事というのは、相手は縁で来ている。自身が乗り越えた問題に関して、聞きにくる。

人から聞いた話ではなく、自分が経験して乗り越えたことを伝えてゆく。あげれば、相手はそれによって、自らの課題を乗り越えていくことができる。

相手というものは、実は自分の過去の姿そのもの。自分がやらなければならなかったことを、相手がいま示してくれている。人生相談に乗ってもらいたいという姿を通して、自身が、今後やってくるカルマを解消しなくてもいいように、来てくれている。

すなわち、相手を助けることで、じつは自分の過去を助けている。相手のためにやってあげているのではなくて、自分のためである。

自身が本当に乗り越えたことであれば、「もうやらなくていい」というテストで現れてきているともいえる。だから誠実に助けてあげることで、自分の過去が救われることにもなる。そのことで、自分が完全に乗り越えたことになる。

そういう意味で、相手に感謝しなければならない。来ていただいてありがとうございます、という気持ちで接してゆく。