過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

一つ一つ終わっている姿が人生。さらりさらりと完了している。滅尽している。

言ったこと、行ったこと、意図したことは、かならず結果として自分に帰ってくる。いいことをすればいいことがあり、悪いことをしたら悪いことがある。それが、「カルマの法則」。
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「七仏通戒偈」(しちぶつつうかいげ)というのがある。
「諸悪莫作 修善奉行 自浄其意 是諸仏教」(しょあくまくさ しゅぜんぶぎょう じじょうごい ぜしょぶっきょう)

悪いことをするな。いいことをすすすんでせよ。心を浄めよ。それこそが真理であるということになる。
インドにお釈迦さんのあらわれる過去世から、仏がたくさんいて、おなじ教えを説いた。それが「七仏通戒偈」。仏教(真理に目覚めた人の教え)を要約するとこうなる、という言葉だ。
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で、たいせつなことは、「自浄其意」と思っている。
いいことをしたというと、いいことをしたぞと思いが生まれる。ちょっと、へんなものがくっつくことがある。
悪いことをしたと気づけば、その悔みが残る。

で、ポイントは善行・悪行よりも「心を浄める」ことにあるんだろうな。
じゃあ「心を清める」ってなんだ。そこがむつかしい。

「なにやっても、何が起きてもこだわらない、さっぱりしている。それがどうしたの。さらりさらりと捨てていく」っていうところかなあ。
(人を苦しめたり、悪いことをしてもへっちゃらであれ、いうふうにとらえないでほしいけど)
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もうひとつ。こういう言い方もできるかな。
すべてカルマは、いつか自分に現われる。いまの自分が過去のカルマの結果である。
で、今はもうあらわれてしまっている。起きてしまっている。もう報いは受けてしまっている。
すなわち、その時点で「滅尽」しているわけだ。

人にあれこれ言われる。あることないこと言われる。いやなこと言われる。される。苦しむ。つらい。かなしい。

そのときに、それはそれで、自分のカルマの起こした結果が返ったと思うこと。
でも、それは「借金を返した」というイメージだと、重たい。
借金を返したというよりは、そのものがそこで完了したととらえる。

一つ一つ終わっている姿が人生。さらりさらりと完了している。滅尽している。過去になっていく。
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なので、いやなこと言われたら仕返ししようとかと、くそお!とかおもうと、また新しいカルマを積んでしまう。だから全てがこの瞬間にカルマが完了している、滅尽しているととらえる。

まあ、時がたてば何ごとも消えていくしね。
頭にきた自分というのは、過去にあっても今はもうない。
いまの自分も未来にはないということで、いまここにしか人生はないということになる。