過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

つねに問題だ、問題だ、という生き方になってしまう

いまの世の中の騒ぎは、財務省の改ざん問題だろうか。マスコミは、朝から夜まで大騒ぎしていると思う。

とくにテレビは、次々と問題を見つけては騒ぐ。そのうちまた別の問題が沸き起こり、総辞職だの不倫だの災害だのオリンピックだのと、朝から晩まで喧騒になる。

たしかに、つねに問題というものはある。それに接して、話題にしたり、発言したり、考えたりすることが、まあ暇つぶし、楽しみ、世の中のありようの学びということにもなる。

そうして、ひとつの問題は、やがて旬が過ぎる。すぐに飽きてきて、次の問題が出てくる。その繰り返し。そうして、いつも「問題だあ」という状態におかれる。

世の喧騒に巻きこまれず、テレビなど見ないで、じっくりと歴史を学び、古典に接して、自分の生き方を見据えていきたい。

日々の暮らしのなかの自分の態度、話しぶり、感情の起伏、怒りが湧いたり消えていくプロセス、そういうところをじっくりとみていく。

深いところで、自分というあり方の気づきがなければ、つねに問題だ、問題だ、という生き方になってしまう。

ぽつりぽつりと降ってくる春の雨音を聞きながら、そんなことをおもう。