過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

妻が願った最期の「七日間」という投稿

結婚して52年。昨年11月に突然の入院。すぐ帰るつもりで、そのまま1月不帰の人となる。枕元のノートに詩を残した。



    妻が願った最期の「七日間」

1月中旬、妻容子が他界しました。入院ベッドの枕元のノートに「七日間」と題した詩を残して。

《神様お願い この病室から抜け出して 七日間の元気な時間をください 一日目には台所に立って 料理をいっぱい作りたい あなたが好きな餃子(ぎょうざ)や肉味噌(みそ) カレーもシチューも冷凍しておくわ》

妻は昨年11月、突然の入院となりました。すぐ帰るつもりで、身の回りのことを何も片付けずに。そのまま不帰の人となりました。

詩の中で妻は二日目、織りかけのマフラーなど趣味の手芸を存分に楽しむ。三日目に身の回りを片付け、四日目は愛犬を連れて私とドライブに行く。

《箱根がいいかな 思い出の公園手つなぎ歩く》

五日目、ケーキとプレゼントを11個用意して子と孫の誕生会を開く。六日目は友達と女子会でカラオケに行くのだ。そして七日目。

《あなたと二人きり 静かに部屋で過ごしましょ 大塚博堂のCDかけて ふたりの長いお話しましょう》

妻の願いは届きませんでした。詩の最後の場面を除いて。《私はあなたに手を執られながら 静かに静かに時の来るのを待つわ》

容子。2人の52年、ありがとう。(2018/03/09付「朝日新聞」「声」より)