過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

ポツダム宣言の受諾から

「笑止、対日降伏条件」(読売)「笑止! 米英蒋共同宣言、自惚れを撃破せん、聖戦飽くまで完遂」「黙殺し断固戦争完遂に邁進する」(毎日)

これが、「無条件で降伏せよ。さもなければ、迅速かつ完全な壊滅があるのみ」と迫ったポツダム宣言に対しての日本の反応であった。

政府の回答は「黙殺」であった。「黙殺」は知りませんよ、知ったこっちゃないという意味あいか。しかしそれはあきらかに「Reject」(拒絶)と受けとられた。

アメリカは、そこは折り込み済み。いまさら日本が無条件降伏するわけないよね、と。「では、もっと痛い目にあわせてあげよう。心底、連合国の恐ろしさを知るがいい」と。宣言にうたわれた「迅速かつ完全な壊滅があるのみ」が、実行に移されることになる。

すなわち、広島と長崎への原子爆弾投下。さらにはソ連が参戦。満州国朝鮮半島北部、南樺太への侵攻を開始した。

ここにいたって、日本ははじめて衝撃を受けた。御前会議で「もはや無条件降伏を受け入れざるを得ない」ということになった。

ありえないけど、「ポツダム宣言」をすぐに受け入れていたら、原爆投下も満州の悲劇もなかったといえる。しかし、あのときに、日本が無条件降伏をするわけがなかった……。

ともあれ日本は無条件降伏することになった。「わかりました。私たちは負けました。完敗です。降伏します。おっしゃる通り無条件降伏です。なんにも条件をつけません」ということである。それでやっと、戦争が終結したのである。

そうして、天皇がラジオを通して国民に発信した。それが「終戦詔書」(大東亜戦争終結詔書)である。

放送の趣旨は、残念ながら日本は負けた。完敗した。無条件降伏を受け入れろと連合国に言われていたけど、それを受け入れることにした。日本は、無条件降伏したんだよ。

ということなんだけど、なんとも言葉の難しすぎることこと。なにしろ現人神(あらひとがみ)の天皇が初めて国民な語るのであるから、ものすごく言葉が難しい。

いきなり「朕深ク世界ノ大勢ト帝國ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ收拾セムト欲シ茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク 」ではじまる。「忠義で善良なおまえたち臣民に告げるのであるぞよ」という。

次にいちばん肝心のポツダム宣言の受諾については、こう述べている。「朕ハ帝國政府ヲシテ米英支蘇四國ニ對シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ」。

天皇である私は、日本国帝国政府に対してアメリカ、イギリス、支那の四国に対して、共同宣言を受け入れるよう通告したのである、と。

「通告セシメタリ」などという表現は、とても完敗した、無条件降伏しましたというニュアンスとはほど遠い。無理に威厳をつくっている。やがて「敗戦」は「終戦」に。「占領軍」は「進駐軍」と呼ばれた。

なにしろ「無条件降伏」を受け入れたのである。なんにも条件をつけないということだ。そこから日本は独立していくことになるんだけど、「独立」は、見せかけだけで、中身はアメリカによる完全支配ということになる。その影響はいまもずっと続いているんだと思う。