過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

終戦記念日の朝は豪雨だ

終戦記念日の朝は豪雨だ。はげしい雨が屋根を地面を叩きつけている。

終戦とはいうものの、徹底した大敗戦だった。多くの国土を失い、戦地で多くの若者を失った。老若男女が火で焼かれた。大量虐殺に遭った。餓えと病でなくなった。原爆を落とされた。二度も。

そして、日本は被害者ということだけではない。中国や朝鮮半島、東南アジアにおいて、日本は加害者であった。他国の民をたくさん殺した。

日本は、無条件降伏を受け入れた。「無条件」なのだから、戦勝国になにをされても文句を言えないような状態を覚悟した日本であった。

けれども、結果として戦勝国が、アメリカだったから、幸いしたのだろうか。平和憲法ができて、軍事力は放棄させられ、その費用は経済に回された。民主主義と経済至上主義で、日本は大成長した。大量生産、大量消費の見事な手本であるアメリカが丁寧に指導してくれた。そうして日本は、奇跡の復興を遂げる。

強大なアメリカの支配の下、アメリカの核の傘の下にあったゆえの平和と安定がベースにあった。やがて朝鮮戦争が起きてモノが飛ぶように売れだした。特需がやってきた。経済は活性化した。アメリカの意向のもとに、時の政府は、唯々諾々としたがってきた。その後ろ盾による安定政権が持続したことよる繁栄と平和と言えようか。いまもその流れにある。

そもそも、どうして日本は戦争を起こしたのだろうか。どうして、日本は敗れたのだろうか。そのことで日本は、何を得たのだろうか。なにを失ったのだろうか。いつもそのことを考える。