過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

パール判事の言葉より

──米国による原爆投下こそが、国家による非戦闘員の生命財産の無差別破壊としてナチスによるホロコーストに比せる唯一のものである。

──アメリカは原子爆弾を投ずべき何の理由があっただろうか。日本はすでに降伏すべき用意ができていたのである。

──連合国側の「幾千人かの白人の軍隊を犠牲にしないため」という言い分に対して、「その代償として、罪のないところの老人や、子供や、婦人を、あるいは一般の平和的生活をいとなむ市民を、幾万人、幾十万人、殺してもいいというのだろうか。

──非戦闘員の生命財産の侵害が「戦争犯罪」となるならば、日本への原子爆弾投下を決定した者こそを裁くべきであろう。

これらは、東京裁判で判事を務めたインドのパール氏の言葉である。

パール氏は、判事全員一致の有罪判決を目指す動きに反対した。「平和に対する罪」と「人道に対する罪」は戦勝国によって作られた「事後法」であり、「事後法」をもって裁くことは国際法に反するとして、被告人全員の無罪を主張した。

またパール氏は、広島を訪れ原爆慰霊碑碑文の「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」に接して、こう述べたと伝えられている。

──ここにまつってあるのは原爆犠牲者の霊であり、原爆を落した者は日本人ではない。落としたアメリカ人の手は、まだ清められていない。

──この過ちが、もし太平洋戦争を意味しているというなら、これまた日本の責任ではない。その戦争の種は、西欧諸国が東洋侵略のために蒔いたものであることも明瞭だ。

──ただし、「過ちをくり返さない」ということが、将来再軍備はしない、戦争は放棄したという誓いであるならば、非常にりっぱな決意である。それなら賛成だ。

──しかし、それならばなぜそのようにはっきりした表現をもちいないのか。

──原爆を投下した者と、投下された者との区別さえもできないような、この碑文が示すような不明瞭な表現のなかには、民族の再起もなければまた犠牲者の霊もなぐさめられない。